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サカナの話、3つ

『魚の恋』

 なんにも縛られることなく、水中を進む。そんな自分を想像する。

 服も下着も脱ぎ捨てて、暗い水の中をただ前へ。どちらが右で左で、どちらが上か下か、そんなことも気にしないまま、流線型の身体は前へ前へ泳ぎ進む。過去は振り返らない。いいえ、振り返「れない」。世界の全ては冷たい水に満たされ、身体もひんやりと冷やされ、誰に抱き締められることもなく生きるために泳ぐ。息をするために泳ぐ。食べるために泳ぐ。

 目の前に差し出された生餌は、漁師の釣り針だった。

 強靭な釣り糸で身体は引っ張られ引き上げられ、豊満な体は船の上に置かれる。目が合った漁師はよく日に焼けた精悍な顔立ちをしていて、真剣なまなざしで唇の針を取り除く。涙が出てきた。涙が出てきた。海の中では溶けて隠されていた涙が、目から零れ落ちた。理由のない涙がただただ溢れ続ける。漁師の手は暖かく、自分の身体との温度差に言いようのない哀しみを感じる。

 出会い。これが最後の。

 腹を割かれ、腐りやすい心や感情を取り除かれる。処理されたわたしは冷凍庫に閉じ込められ、船が港に着くと、この身体と共に愛を切り分けられるだろう。その愛がたくさんの人に届けばいいと思う。

『おはよう』

 孤島の砂浜に二人。太陽が落ちてゆく。夕日を背に、砂浜に二人。波打ち際に足跡、消され、足跡、また消される。彼女はひらひらとしたワンピースのまま海へ走りこんだ。そのまま魚となる。彼もそれを追いかけ魚となった。赤かった空は群青から闇に染まり、白い満月が光を纏って浮かんでいた。

 銀色をした二匹の魚たちは夜の中をはぐれずに泳いだ。それはまるでダンスでもしているかのようであり、二匹の軌跡は絡み合って縺れ、銀色の糸を編んだ。運命の糸は赤色ではないらしい。糸はうたかた、海面に細かな泡が弾ける。満月も次第に西へと傾いた。風はなく音もなく、時だけが流れてゆく海。

 明けない夜は黒に閉ざされ、世界には二匹だけだった。広い海の小さな二匹は思う存分はしゃいだが、やがて一方は力尽きてしまった。細い骨のカルシウムが強い酸化で輝いたとき、もう一方はその尾で屍を跳ね上げた。骨の欠片は波間で砕け。それはとても小さな光だったのだけれど、橙色が水平線に現れたとき明けない夜が明けたのだ。残された魚は海の深くへ潜っていった。その言葉は口にしたくなかったから。それがさよならになるから。全てが眠っていた、幸せだった夜を抱いて。

『生きる』

 貴女の洞に欲望を突き立てたぼくは、私刑に処された。

 どうやら死んでしまったらしいと気付いたのは、最初の生まれ変わりで水の中のみじんことして金魚鉢にぽちょりと落とされたときだ。母親の無性生殖によって生を受けた多くの姉妹たちも一緒だった。金魚の口が迫る。

 どうやら死んでしまったらしいと気付いたのは、二度目の生まれ変わりでかたつむりとして塀を進んでいたときだ。のろのろ歩きは子供に捕まり、水槽の中で水と食料を待っている。

 どうやら死んでしまったらしいと気付いたのは、三度目の生まれ変わりで熱帯魚としてイソギンチャクに包まれていたときだ。チクチクと皮膚が痛い。

 どうやら死んでしまったらしいと気付いたのは、四度目の生まれ変わりでとかげとして河原で日向ぼっこをしていたときだ。どこからか固い何かが飛んできて頭に当たった。

 どうやら死んでしまったらしいと気付いたのは、五度目の生まれ変わりで人間の女になり、人間だった「ぼく」に襲われたときだ。

 近しい人に相談すると、五つ前の「ぼく」は大勢の人間によって、私刑に処された。死んだと聞いた。

ぼくは貴女として生きようと思う。寿命が尽きるまで、生きようと思った。

 夏なのでサカナの話など3つほど。

#サカナの話 #創作物語 #500文字小説

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