2019年9月
まもなく9月が終わる。
10月になったら、増税、そして天皇即位式と日本にとって大きな変化がある。
私にとってはこの9月が舞台のことやこれからのことに対して、今までとは考えを変えるきっかけになったと思う。
3年前、私はお金をいただいて舞台に立つことを初めて経験した。
それまでもマイペースに舞台を創って立っていたけど、公民館を使っていたので、無料公演だったのだ。
その時は思ってもいなかった今。私が舞台デビューした時に関わっていた方々の公演があって、お客さんとして観に行ったのは、キミハドコニイルさんの 第2回公演 「それぞれの階段」。
そして、当日のお手伝いとして関わったのがSky Theater PROJECTさんのVol.17 「半ライスのタテマエ」。
それぞれの作品や詳しい感想については他の方々のnote やツイートに譲るとして、私はこれらに触れて、すごく考えさせられたことばかりであった。
戯曲について
当たり前なことなのだけど、役者が成長するように、劇作家も成長する。でも、変な言い方になるかもしれないけど、その成長は続けて観たりしないとわからないような、些細な所から始まるんだと思った。
ブレイクスルーという言葉。
よく聞くけど、実感としては特になかった。
というか、スポーツとか異分野の感覚すらあったのだけど、それを目の当たりにする作品があり、衝撃を受けた。
キミハドコニイルの有沢一香さんの「違うの、聞いて」。
彼女とは仲良くしてもらっていて、年1回は作品を観に行っている。何故、そんな近しい人に衝撃を受けたのかというと、5月に観た作品と完成度が全く違っていていたから。
5月の作品は「恋」をテーマに3作品のオムニバス公演で、その中で彼女一人だけ切り口を変えて、アプローチしていたから印象に残っていて、むしろ作家の恋愛感が出ないように変化球にしたのかも?なんて思っていた。
でも、それはとんだ間違いだった。
「違うの、聞いて」って、推しを観る為にチケットを転売で得ようとする娘の姿から始まるんだけども、母が出てきた瞬間、この世界が弾けるというか、良い流れ、勢いが観客に押し寄せてくる感じだった。
作品は、お客さんに喜んでもらえるのが絶対的に良いに決まっている。でも、そればかりを気にして、お客さん様々的な媚びる作品というのは、おもしろくはないと私は思っている。
この作品は、そういうのが一切なくて書いてる本人が楽しんでるし、演じる側も楽しんでその世界に飛び込めていたから出演されていた役者さん二人の相性、そして、その二人と作品の相性が良かったのもあるけど、作品自体の構造、仕掛けのおもしろさが抜群。お客さんが笑いたい所をちゃんとくすぐってくれる。みんな笑うから、会場中が盛り上がっていた。
これが演劇!という作品になっていて、有沢さんの日々積み重ねていることの結果なんだと感じたし、それを4か月ないし、もっと短い期間で創り上げていく力にすごいなぁと…。
それ以外にも、キミハドコニイルに参加されている作家さん達の作品を知っているし、人となりもわかっているから、夫婦が連れ添えば似てくるように、戯曲も作家さんが向き合って創作し、年数を経るほどに、つぶさにその人なりのものが立ち表れてくるんだなぁとも思った次第です。
演出について
Sky Theather PROJECT さんの「半ライスのタテマエ」。
私は稽古と本番とお手伝いながら、観させてもらったことが、演出についてこれまでとは違う考え方を持つに至ったきっかけになったと思う。
稽古を観させてもらった時、シーンが見えずらい(その場で何を表現し、伝えたいのか?と私は意図してこの言葉を使っているのだけど)箇所があって、どうなっていくのかなぁと興味半分、心配半分の面持ち。
自分も役者だけど、座組に入ってる時は全体よりもまず自分の仕事を考えるし、主宰でやった時は演出以外にも抱えている仕事が多すぎていて、心配よりもいかに観てもらえるようにするかを考えだけで手いっぱい。
だから、客観的にこういう状況にいるのは何だか不思議な感じを持っていた。
本番。3回観させてもらえたのだけど、お客さんが入ると全然違う。
役者さん達の頑張りももちろんあるんだけど、スタッフさん達が支える舞台の効果や運営もあって、その場に存在するお客さんの呼吸や感じる感情、そういったものが瞬間瞬間、舞台上の役者さんのシーンを後押しするじゃないけど、台本と役者さんのポテンシャルを引き出すみたい。
私はそれぞれの役者さんの好きなシーンを勝手に作って観ていたのだけど、そういう影響を受けて、どんどん良くなっていくシーンがあって、演出っていうのは何なんだろうと考えてしまった。
演出するのに必要なのは、台本解釈、キャスティング、空間演出に関係性をわかりやすく見せる演出と私は思っていた。
だから変な話、エース的な役者さんがいれば頼れるもんだと…愚かな考えを持っていたんだけど、この公演を観させてもらって、それは間違いだなって。
Sky Theather PROJECT主宰の四方田さんが話されていたんだけど、サッカーと同じでみんなが能力を発揮できるチームにすることが大事なんだって。
だから演出って、さっき上げたこと以外にも役者さんの可能性を信じ、問い続けることなのかもしれない。そう考えると、お客さんも客観的に同じように感想を伝えてくれるから、本番中もシーンが育っていくのかなぁと。
ちなみに私がこの公演で一番好きなシーンは、回想で余命宣告を受けた教頭先生が住職に手紙を代わりに出してくれと頼み込むシーンとラスト、教頭先生の残した段ボールいっぱいの手紙を家族が手に取り、娘が「…ばっかじゃない」とつぶやくシーン。
実は、私には稽古では両方ともわかりにくいシーンだったけど、回を増す度に人物の感情がどんどん伝わって来て、舞台上でも客席でも涙流れるシーンとなっていて、台本上、要になっていた部分だから作品が引き締まってまて、後味が素晴らしく良かったです。
お手伝いでスタッフワークを学ばせてもらいながら、観劇もさせていただくという大変贅沢で、ありがたい時間を過ごせたことは貴重でありました。
Sky Theather PROJECTさん、ありがとうございました!
演技について
演技もこの機会に学び直しました。
自分が持っているものを再認識したい思いがありましたし、実際やっていく中で苦手なことばかりが目に付くようになった。
これって何にでも言えることだけど、長所じゃなくて、短所を見続ければ、それしか見えなくなる。良いものだって見えなくなる。
でも考えを変えれば、これはいい機会でこれまでの自分を超えられるとも思った、今の私が役者として何を持っていて、どう生かし切れていないのか?そう、そう考えれるようになったのも勉強し直していく中でそう感じられるようになったが一番の喜びだったと思う。
人というものは生きているといろいろな枷を自分自身に付けていく。
それは環境だったり、親子関係だったり、人によって様々。
マイズナーシステムのメソッドはそれにアプローチしつつ、役者としての筋肉もつけれる。
ルールを守れば、何でもやっていい。
大人になれば、当然やっちゃいけないことも出てくるが。ここで求められているのは3歳児の感性と頭脳。
私はワークショップ中、寝ていたことを白状するが、それも許されていた。そんな環境だから、自分に向き合ざる得ない。
というか、そういう状況だから逃げ道がない。
私はここで自分の役者としての個性や良さを再認識したし、これから何に取り組んでいけばいいのかもわかった。
何よりもそれ以前より演じることに自由を見出せるようになった。
これらはつまずいたから得られたものだと思っているから、転ばぬ先に杖ではなく、転んだら転んでそれを楽しめばいいんだとも思う。
こうして、自分って案外おもしろいやつだな、いろいろできんじゃんと自己肯定力が一気に増している今。
それでも優先するのは無理をしないこと。
怖がってるのじゃなく、自分を大切にしたいし、少しずつの歩みの中で見えるものを大切にしていくのが私にはふさわしいと思うんだ。
島根で介護したのもそういう生き方の選択だったし、6年の歳月はキャリアは築けなかったかもしれないけど、大切な思い出やかけがえないのない経験ができたし、その私を誇らしくも思っているから。
だから、応援してくれるみなさまには再三言っている通り、お待たせしてしまうかもしれないけど、私はちょこっとずつ成長していってます!
気長に待っていて欲しいです。
今後も井川いずみ、そしてIccokaをよろしくお願いいたします!
出会ってくれて、記事を読んでくれて、ありがとうございます。演劇をやっています、創るのも、立つのもです。良い作品を届けれるよう、日々やって参ります!