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ー安楽死を宣告された猫との35日間ー 4日目

BAKENEKO DIARY /DAY 4. 仕切り直しの1日

 前日から聞いていたが、この日は三ヶ月に一度の病院の特別清掃の日だった。入院動物の世話はするが、外来は休診、見舞いも不可ということで、病院へは行けなかった。Sは過呼吸で試験を途中退出してから、クラスメートに何があったか聞かれるのが嫌だと、別室で期末試験を受けていた。その試験も今日で終了。病院に見舞いにも行けないということで、ちょっとひと息というブレイクの日になった。
 
 私はSNSはそれほど見る方ではないし、ネットの掲示板などで悩み事相談もしたことがない。情報を得るためにインターネットを使っても、答えや癒やしにつながる何かを探したことはなかった。それが、だ。ミータの事故以来、ベッドに入ると、毎晩、スマートフォンで、事故に遭った猫が生還したケースがないかを探してしまう。

「猫 交通事故 安楽死 脳の損傷 大けが 鼻骨骨折 舌が割けた ICU 食道チューブ 排泄 予後 後遺症 麻痺 入院 リハビリ 回復 費用 期間…」

 検索の組み合わせは何通りでもある。探すというより、助けを求める、それも、小さな希望の火を見つけようとするような切実さで。この状態の自分には参った。自分はSNSと距離を取っている、バーチャルな世界には頼らないと思っていたのに。猫の年齢も体調も、事故の状況も対応もすべて違うとわかっていても、少しでも明るい展望がほしかった。そしてそれを探す場所は、ネットだという現実。コロナ禍で時間ができて何か書いてみようかと思ったとき、ミータの事故のことが浮かんだのは、今、同じように希望を探してネット検索している人がいるかもしれないと思ったからだ。

 ネット検索すると、交通事故で大けがを負っても、元気に回復した例はたくさん出てきた。しかし同時に、脳や脊髄の損傷により、排泄ができなくなった、事故後1年経っても自力で食事が取れない、性格が変わってしまった、などの例にも出会った。希望や安心を求めたところで、都合のいい事例ばかりではない。“可能性”は見えても、”ミータがどうなるのか”は、やっぱりわからない。それでも探す。それが良いのか悪いのか、今になってもまだわからない。ただ、答えを探して探して、たとえその答えが見つからなくても、そうやって時間をやり過ごすことで、なんとか次のステップに向かう。本当に苦しいときにはそうするしかなく、そして、ネットがその手段になるのだということもよくわかった。

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