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15歳の娘がはじめて女の子扱いされた日。

「あ~、明日は学校、休むから。」
「なんで?」
「ドッジボール大会があるから。」

そんなことかい!と思う。小学生の頃から、「ドッジボールこわい」と言っていやがっていたけど、高校生になってもそうなんかい!

しかし高校でドッジボール大会?なんで?と思ったら、昨年来のコロナ禍で、校外学習から文化祭、球技大会に合唱コンクールまでなくなり、やっと開催できるのが学年別の1時間だけのドッジボール大会なのだと言う。各人に番号が割り振られ、番号ごとにチームを組んで、別のクラスの人とも交流しましょう、という趣旨らしい。

「たった1時間でしょ。そのために休むなんて、なに言ってんの。」
「ん-、そうなんだけど。ドッジボールきらいだしやだな。」

娘も本気で学校を欠席するつもりだったわけではないようで、翌朝は普通に登校していった。
帰宅してからの夕飯時、そうだ、と思い出して聞く。

「ドッジボール大会、どうだった?」
「最後まで当たらなかったよ。何回かボールも投げた。」
「へ~。うまいこと逃げられたんだ。誰かにあてた?」
「それは無理だった。男子がね、すごいんだよ。ボールがすごく早くて、でも受けたりして。」
「あ~、男の子のボールは迫力あるだろうね。」
「でもね、男子は女子にはあてないの。」

その日の会話はそれだけだった。

数日後の夕食時、娘が話し出した。話題はクラスいちのイケメンと噂されるKくんの話。

「Kにさ、彼女できた。やっぱり顔がいい人って、彼女できるよね。彼女もすごくかわいいし。」
「ふーん。そんなにかっこいいの?」
「私はそんなに好みってわけじゃないけど、ドッジボールの時はかっこよかった。」
「あ~、そうだね。ドッジボールとかするとね。」
「ドッジボールの時ね、男子は女子にあてないんだよ。あてないんだよ。」

”男子が女子にあてない”ことをやたら強調する。娘の高校には小学生時代から一緒の生徒が何割かいて、娘にとっての多くの男子は”異性”というより”幼馴染”。それは男子にとってもそうで、中学からは体育の授業は男女別になるので、”男子が女子に手加減する”場面に出くわしたことはなかったのだろう。

「なんで男子は女子にあてなかったのかな。」
「そんなの…」

”当たり前じゃない”という言葉を飲み込む。
なんでだ?

「それは、大人と子どもが一緒にドッジボールして、大人が子どもにあてないのと同じっていうかさ。男の子の方が体が大きくなって、力も強くなるから、女の子をねらうのは、なんか、ね。」

うまく説明ができない。この年頃の男の子、女の子の心理には、もっともっと繊細な感情が芽生えてきている気がする。

「男はこう」「女はこう」とは言われなくなり、できるだけ性差をクローズアップしない時代である。娘の友だちのなかには自分はホモセクシュアルだと話す子もいるらしく、今の若者はオープンになってきたんだな、この時代らしいなと思っていた。実際、同級生のスーパー体育会系ガールたちは、ドッジボールでも男子同様に活躍していたらしい。しかし、力の強いものが、明らかに力の弱いものを狙って勝つことが、あんまり素敵じゃないことは変わりない。そして、少し大人になってきた男の子たちはそれに気づき、中には「女子を狙うなんてカッコわるい」みたいなプライドが芽生えていたり、女の子たちは男の子たちの運動能力に自分との違いを感じたり、「守られている」感を覚えたり。1時間のドッジボール大会の中で、彼ら彼女らの心にはどんな感情がうず巻いたのだろう。

また数日後の会話。
「私のことなんて、好きになる人いるのかな。」
「なんで?」
「だって、顔もかわいくないし、スタイルも良くないし、性格も実は黒いし。人の悪口は言わないけど、心の中ではいろいろ思ってるし。」
「心の中で思うのはしょうがないよ。外見だけで好きになるわけじゃないし。そのうちに、自然にいいなって、お互いが感じる人に出会う時が来るよ。たぶん、だけど。」

15の夏。娘は新しい経験をして、また少し大人になっていくのだろうな。


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