ー安楽死を宣告された猫との35日間ー 3日目-2
BAKENEKO DIARY /DAY 3-2. 安楽死のレベルです
A 先生の説明はこうだ。レントゲンで見える範囲に致命的な骨折はないが、頭蓋内出血やそのほかのダメージについては、CT検査をしてみないとわからない。本来は麻酔をしてCT検査をするが、ここまで弱っていれば、麻酔ではなく鎮静剤でいけるだろう。しかし、この状態なので検査をすることで亡くなってしまう可能性もゼロではない。そして、検査をして、たとえば頭の骨に異常が見つかったとしても、手術等の処置ができる状態ではない。
体力面を改善させるには食事だが、それも当分はできそうにない。栄養補給のために、食道を切開してチューブをつけ、直接、栄養を送り込む必要がある。それをするならば、検査と同時に食道チューブを設置して、鎮静剤の使用を一回ですませる方がいい。
等々の説明して、さらにA先生は続けた。
「ごめんなさいね。今後の見通しなんかは、検査をしてみないとなんとも言えないんです。でも、検査をして大きなダメージがなくても、ここまで脳が腫れてしまうと、どこまで回復するかは全くわかりません。寝たきりになって、排泄も自分でできなくてオムツを常用する、食事も自分で取れないままという可能性もあります。ごめんなさいね。でも、この状態は、たとえばアメリカなんかだと完全に安楽死のレベルなんです。」
さらに本当に回復を目指すならば、1日でも早く食道チューブを設置する方が良いこと、食道チューブを装着した場合の介護の負担、安楽死の方法、安楽死させるとしても、自宅で家族と時間を過ごした後でもいいことなどを説明してくださった。
「先生、今、この猫は、相当辛くて苦しんでるんですよね?」
「そうですね、人間で言えば、重体だと思っていただければ。」
「もしも、検査も食道チューブも何もしないとしたら、どれくらい生きられるのでしょうか?」
「そうですね… 確実に、来年まではもたないでしょうね。」
その日は12月2日だった。しばらく考えさせて欲しい、と言うと、もちろんと言って、A先生は部屋を出て行った。私と娘Sは逡巡した。検査をするべきか。同時に食道チューブをつけるべきか。回復をめざしてがんばらせるのか。早く楽にしてあげるのか。でも、迷っているのは私だけだということは、Sと話すとすぐにわかった。
正直に言えば、私は安楽死もありかと思っていた。苦痛から解放してあげたいということよりも、もしも命をつなげても、ミータが今まで通り、自由に生きられるのかわからないから、というのが理由だった。野良出身のミータは、外が大好きだ。1泊だけと家に閉じ込めて旅行に出たときは、帰ると家の中は大変な惨状になっていた。草むらを走り回ってネズミやトカゲをつかまえ、自然の風に辺りながら昼寝をして、友だちの猫と遊んだり、時には相性の悪い猫とケンカしながら生きてきた。走れなくなって、食べられなくなって、人間に四六時中、世話をされて彼女は生きていたいのだろうか。もちろん、介護の時間的な負担も、このまま入院が長引き治療を続ける場合の費用のことも考えた。
しかし、だ。Sの考えはシンプルだった。
「安楽死なんて嫌。絶対に受け入れられない。」
そして言った。
「ミータには、いつも化け猫になってもいいから、長生きしてよ~って言ってきた。本当に化け猫になるだけ。ミータを死なせるなんて嫌だ。」
ここまでの状態になった猫を生かすことは、人のエゴかもしれない。ミータが野良猫のままでこんな事故に遭っていたら、絶対に生きてはいられなかった。葛藤はあった。でも、Sの気持ちを無視することはできなかったし、私にもミータと今、別れるのは耐えがたい気持ちがある。やっぱり、生きていてほしい。良くなる方に賭けたい。
A先生に回復をめざすこと、少しでも早く食道チューブを設置してほしいことを伝えた。A 先生は「わかりました。今日の午後にします」とだけ言った。
夕方、SとZ病院に向かった。あれから連絡はないので、検査中に死んでしまったということはないと思っていたが、検査の結果はどうだろう。あえて悪い想像は頭から振り払うように努めた。
ICUに通されて、ミータを見ると首元に包帯をしていた。食道チューブの箇所。様子にはそれほど変化はない。
「ミータ、来たからね。がんばったね」と声をかける。しばらくすると、A先生がやってきた。
「CT検査と、チューブの設置は無事に終わりました。CTの結果なんですけど、幸い、膀胱や頭の骨には異常は見られませんでした。なので、あとは脳の損傷ですね。食道チューブから必要なカロリーと薬を入れていれば、だんだん脳の腫れはひいていくはずですが、どこまで麻痺が残るか。左半身と、左目の反射も弱い。当面は、おしっこが出るかどうかを見ていきます。」
ホッとした。でも、良かったとまでは思えなかった。不安の方がまだまだ大きい。とりあえずの命はとりとめたが、これからが本番なのかなという気持ちだった。