きみ子と寿町を歩く
きみ子は、19年前に亡くなったわたしの母方の祖母。
豪傑で、たまに不可解な行動をとる人だった。
いちばん謎だったのは、わたしが保育園児から小学校低学年にかけての頃にあった度胸試し。それはいつも祖母に付き添ってもらう歯医者通いとセットになっていた。歯医者の場所は忘れてしまったけど、住んでいた横浜元町の隣隣隣町くらいだったとおもう。そしてその間には、有名なドヤ街、寿町があった。
今ではだいぶスッキリと整理されてきれいになったけど、40年以上前の寿町はとにかくすさまじかった。ゴミが散乱している中、ドラム缶の焚火の煙が立ちのぼり、アンモニア臭が混じった鼻をつく匂いが漂う。酔っ払いが昼間からゾンビのように徘徊し、ボロボロの服を着たホームレスが生気のない目をして路傍に座り込んでいる。当たり屋がいるから車はスピードを落として慎重に走るし、もちろんタクシーの運転手はこの町を避けていた。
そんなデンジャラスエリアを前にして、しかし祖母は「50円あげるから寿町を通って帰ろうよ」とわたしを誘うのだ。“こんな怖い場所を通るなんてムリ~!”とドン引きしつつ、駄菓子屋を満喫するためのおこずかいがほしいわたしは、恐怖と50円を秤にかけて、3~4回に1回の頻度でOKしていた。お金の力ってすごい。
いよいよ寿町エリアに入るとき、わたしは祖母の手をギュッと握って、誰とも目が合わないように下を向き、早足で歩く。そしてついに大通りまで抜けると心底ホッとする。そして、“おばあちゃんはいじわるだな”と、毎回祖母のことをちょっと嫌いになった。
わたしがだいぶ大人になってからのある日。「そういえば昔さ、“50円あげるから寿町を通って帰ろう”って、おばあちゃんはわたしを試したでしょ? あれ、すごくイヤだったんだよね」と祖母に向かって話したことがある。「ああ、そういうこともあったねぇ」と懐かしそうにニコニコしながら、祖母は続けた「世の中にはいろんな人がいることを亜希子に知ってほしかったから」。
いやいやいや、「そうだったのね! おばあちゃん、どうもありがとう!」というきもちには決してならないぞ。それならそれでもう少しマシな方法があったとおもうから。でも、祖母のことはやっぱりずっと好きだった。喉元をすぎた今となってみれば、幼児を連れてドヤ街を歩くなんてむちゃくちゃだけど、おもしろい。
それから思い出した。祖母の友だちの中に、寿町の教会に住む神父さんがいたことを。彼から町の事情をよく聞いて知っていたからこそ、祖母は孫を連れて歩く判断をしたのだとおもう。
誰かが決めた道徳にのっからず、自分がいいとおもったことをやる。人が選択したことを否定しない。わたしは祖母のそういう姿を見て育ってきたのだと、ここまで書いてやっと理解した。
なるほど、あれもこれもすっと腑に落ちる。
わたしが育った環境の中で密接に関わった人たちは、たとえこの世からいなくなってもどこかにしっかりと跡を残しているのだ。