木崎湖同窓会のその後
さて、感動の木崎湖同窓会から一週間。なぜか私はここに居ました…。
白馬町にあるBIG白馬店です。ここは、作中ではジャスコでした。旧ジャスコのBIGはここと大町の2か所なのですが、両方とも平屋建てで作中のジャスコはエスカレーターがありますが、大北地区のジャスコには無いので聖地巡礼の人々から「いろんなジャスコを組み合わせてあの形になったんだろう」と言われていました。
白馬店からはこのように駐車場からきれいに山なみが見えます。
以前のジャスコ時代からの案内とイオンの取り組みの案内。「ザ・ビッグ」の看板の下にうっすら見える「ジャスコ」
ここから再び仁科神社に行き参拝。今回は資料館も見学して
写真には残していませんが、先日の同窓会の時にとっちーさんと話そうとしたときに例の警察の件になってしまったので、差し入れができなかったので今日にしました。
お話を聞いていると今年の「木崎湖花火大会」は規模が縮小されるような話を聞きました。(もしかしたら花火大会自体が中止されてしまうかもしれないとまで)
というのも、今年は大町の商工事業者に協賛金の話をもっていくと、そこかしこから「お金がない」「お金を出したいのはやまやまだけど…」という声が聞こえてくるのだとか。(もっとひどい話も聞きましたがここでは割愛)
一瞬、「クラウドファンディング」という言葉が頭をよぎりましたが、先日の同窓会で行ったばかりなのを思い出して口を閉じました。(;^_^A
一通り色々なお話を聞いた後、ゆーぷるに戻ってきました。
ゆーぷるの玄関ホールにはみずほ先生、苺、小石の三人の像があります。もともとは海ノ口駅に設置され鉄道で来る皆さんをお出迎えしていましたが、JRの管理下で可燃物が置けなくなりゆーぷるへ移動されました。
みいなとかれんの二人はもともとこちらのロビーに設置されていたので日焼けなどなく…
この浴場男湯と女湯が定期的に入れ替わります。時々どちらかのサウナが点検中ってこともありますが、一日待てば利用できますので逗留するお客さんはお手頃にサウナが利用できます。
ひと通りゆーぷるを堪能した後は「縁川商店」ことYショップニシへ。小石のうどんを食べるのが定番なんでしょうけど、ここでは山菜そばを。
山菜そばといっても普通の山菜と一緒にハーブが。最初はこの山菜は何だろうと噛んでみるとハーブティーで味わったことのある味が…。これは斬新でした。
次にやってきたのは旧制松本高校。
ここは、作中では木崎湖畔の県立木崎高等学校のモデルです。
旧制松本高校は現在の信州大学の教養課程の前身にあたります。かつての旧制高校の学生は今の大学生くらいのステータスでしたので、我々の考える年齢層だけでなくいったん社会に出た人まで再度学ぶために入学してくるぐらいの学生の幅があったようです。
さて、作中でも正面玄関として使われていた玄関。玄関ホールにげた箱を置くスペースがないので土足(革靴)で入っていたものと思われます。
こちらは、講堂。舞台とフロアがありますからここでもイベントができますね。ちなみに当日は松本地域のお医者さんの学会が開かれていたので中に入ることはできませんでした。
教室を見てみましょう。
黒板に注意書きがありますけど、これは多分教室復元時に聖地巡礼者が、作中にあった「好きだ!」とかを書いていたからかと。
作中のものとそん色なく再現されていてよかったんですけど、やっぱり古い建物の黒板ですから下手に書くと傷んでしまうのでしょう。
教室に設置されているいすや机は現代会議用のものが中心で、黒板が使えない代わりに移動式のホワイトボードが設置されています。
木製の机が設置されている復元教室はこんな感じ。作中の教室では単独ではなく会議机上の二人並びの机でした。
正面玄関から入ったところにある階段。作中でもこんな感じのアングルで使われていましたね。ところで、ここの建物は保存されている戦前様式の建物の中でもほかの建物に比べて保存状態が良いといわれることがあります。
それは「ガラス」なのです。写真のガラスを見ていただけるとわかるのですが、微妙にゆがみがあるのです。
このゆがみのあるガラスは明治時代のガラス製造が手作業であったことを証明しているのです。現在の板ガラスは機械化されて圧延されて均等な圧力で延ばされたガラスが出来上がるのですが、当時は職人の手作業で作られているので一枚一枚にゆがみが生じているのです。(時には気泡が残っていたりします)
で、このガラスが破損すると修復する時には工場で作られた圧延ガラスになってしまうとのこと。
講堂の校舎口。作中では渡り廊下だったはずなので、現役時代も渡り廊下でつながっていたと思われます。
こちらは講堂の玄関。今日はドアが固く閉じられています。
中庭から校舎をみるとこんな感じ。作中では左右反転しているとのことですが雰囲気は味わっていただけるはずです。