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お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい


№70 今回紹介するお話

1978年(昭和53年)、奈良県立明日香養護学校の教員(当時)だった向野幾世さんが、生徒として受け持っていた奈良県桜井市出身の少年の生涯と、彼の作った詩を中心に、少年の家族や仲間たち、障がい者としての苦しみ、喜び、希望などを綴った書籍「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」を出版しました。

この書籍には重度の脳性麻痺を患う山田 康文さんが、自分が障がい児であることで、大変な苦労を掛けているお母さまに宛てた「詩」、そしてお母さまの「返詩」、康文さんの生涯などが掲載されています。

当時の日本というのは障がい者差別が著しく、周囲からの奇異の視線や心ない言葉を投げかけられ、お母さまが悲しむことも多かったそうです。

そうしたことで苦労をかけているお母さまに対し、自分が障がい者として生まれたことを詫びる内容の詩を著者であり、康文さんの先生であった向野幾世さんと一緒に詩を作り上げました。

康文さんは発声や手足の動作が不自由で、学校内では最も重い障がいの持ち主であったそうですが、向野さんが言語訓練を行ったことで、多くの言葉を表現できるようになりました。

しかし詩の製作というのは向野さんがいくつもの文章を提示し、康文さんはそれが自分の意図する表現に合っているかどうかを目や舌のみの仕草で示すという地道な方法であり、「ごめんなさいね」を選び出すだけで、約1か月を要していたそうです。

ようやく詩が完成、これを読んだお母さまは心を打たれ、返詩として、自分が息子を障がい者として生んだことを詫びるとともに、息子を希望として今後も生きてゆくことを詩に書きました。

康文さんはさらに返詩として、母への感謝、障がいを受け入れて生きていくことを書き、詩が完成したのだそうです。

康文さんは15歳の誕生日を迎えた直後の1975年(昭和50年)6月に不慮の事故により死去されました。

ごめんなさいね お母さん
ごめんなさいね お母さん
僕が生まれて ごめんなさい
僕を背負う 母さんの白いうなじに 僕は言う
僕さえ生まれなかったなら、母さんの白髪もなかったろうね
大きくなったこの僕を 背負って歩く悲しさも
かたわな子だね と振り返る 冷たい視線に泣くことも
僕さえ生まれなかったなら


私の息子よ 許してね
私の息子よ 許してね
この母さんを許しておくれ
お前が脳性麻痺と知った時
ああ ごめんなさいと泣きました
いっぱい いっぱい泣きました
いつまで経っても歩けない お前を背負って歩く時
肩に食い込む重さより 歩きたかろうねと、母心
重くはないと聞いている あなたの心が切なくて


ありがとう お母さん
ありがとう お母さん
お母さんがいる限り 僕は生きていくのです
脳性麻痺を生きて行く やさしさこそが大切で 悲しさこそが美しい
そんな人の生き方を教えてくれたお母さん
お母さん あなたがそこにいる限り


私の息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたの姿を見守ってお母さんは生きてゆく
悲しいまでの頑張りと
人を労わる微笑みの その笑顔で生きている
脳性小児麻痺の我が息子
そこにあなたがいる限り


母さん ありがとう
母さんが守ってくれた命
ありがとう 母さん
僕は今、たくさんの温かさを知りました
何もできない僕だけど なんとなく幸せ
母さん 小児麻痺にしてくれて ありがとう

※詩の中に不適切ととられかねない用語がありますが、原文を尊重し掲載いたしました。

2002年の出来事

書籍が絶版となった後の2002年(平成14年)のある日のこと。

石川県七尾市の七尾美術展に女子高生の一団たちが来館しました。生徒が展示品群に不満を漏らしていたところへ、美術館のボランティアの女性がこう口にしました。「あそこにお母さんのことを書いた書があるの。お願いだからあの作品だけは読んでいって」と。

その書というのは石川県七尾市の願正寺の住職であり書道家でもある三藤観映さんが山田 康文さんとお母さまの詩に感動し、筆にしたものでした。

女子高生たちは不承不承、女性がすすめた書を鑑賞しました。すると一人がすすり泣き、そして生徒全員が耐え切れずに泣き出し、「今の健康と幸福を忘れていました」と女性に礼を述べたのだそうです。

このボランティアの女性が七尾美術館での一件を産経新聞へ投書したところ、「今どきの女子校生を泣かす詩とはどういうものなのか」など、多くの反響があり、その後に書籍が復刊され、またドラマ化されたりしたそうです。

YouTube

このお話を元に作られた動画がありましたので紹介致します。
※ご紹介する以外にも動画はあるようです。

(2ch)泣き笑いほっこり『LAN』

※こちらはショートバージョンです

【笑えるコピペ連発】2chショートまとめ


書籍の紹介

参考

今回のお話は「向野 幾世 (著)「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい 改訂版」」を参考にさせて頂きました。また、記事のタイトルはこの書籍から頂きました。

さいごに

私のnote記事は営利を目的とはしておりません。
単純に涙した話を皆さんと一緒に共有したいと思い記事にしています。

しかしながら「著作権」などの問題がある場合は削除致しますのでお知らせください。
なお、掲載している画像は いらすとや 様から頂きました。

最後までゆっくりお付き合いいただきありがとうございます。



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