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死よりも怖いのは、母さんの涙です
№238 今回紹介するお話
今回紹介するのは、「18歳の回天特攻隊員の遺書」として出回っているものになります。
しかし、これは「創作」であると言われており、「創作」であるという記事がありましたので後述致しますが、ここでは「18歳の回天特攻隊員の遺書」ではなく、「青年兵の遺書」として掲載をすることにしました。
このお話を元にしたYouTube動画がありましたので、併せて紹介していきます。
内容
お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。
胸は日本晴れ。
本当ですよお母さん。
少しも怖くない。
しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。
それは、今日私が戦死した通知が届く。
お父さんは男だからわかっていただけると思います。
が、お母さん。
お母さんは女だから、優しいから、涙が出るのでありませんか。
弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。
お母さん。
こんなことを考えてみましたら、私も人の子。
やはり寂しい。
しかしお母さん。
考えて見てください。
今日私が特攻隊で行かなければどうなると思いますか。
戦争はこの日本本土まで迫って、この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのですよ。
母さん。
今日私が特攻隊で行かなければ、年をとられたお父さんまで、銃をとるようになりますよ。
だからね。お母さん。
今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。
でもやっぱりだめだろうな。
お母さんは優しい人だったから。
お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。
私が一番怖いのは、母さんの涙です。
YouTube
このお話を元に作られた動画がありましたので、一部を紹介します。
※ご紹介する以外にも動画はあるようです。
(2ch)ひまつぶしチャンネル『LAN』様
〈独自〉「回天特攻隊員の遺書」作者存在せず 元海軍士官が創作疑い
今回紹介するお話が「創作」であるという記事がありましたので、転載致します。
また、創作であるが故に「18歳の回天特攻隊員の遺書」として知られてほしくない、そのように記載している書物などは削除してほしいとの要望が関係者からあがっているようです。
先の大戦で日本軍が開発した人間魚雷「回天」の搭乗員が書いたとされ、インターネット上に流布している「18歳の回天特攻隊員の遺書」の作者は実在しないことが11日、回天研究者ら関係者への取材で分かった。元海軍士官の男性(故人)の創作だった疑いが強い。男性は戦後、特攻隊員の遺書の収集に携わっており、研究者はこうした複数の遺書を基に創作した可能性を指摘している。(大森貴弘)
《お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。胸は日本晴れ。(中略)お母さん。今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。でもやっぱりだめだろうな。お母さんは優しい人だったから。お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。私が一番怖いのは、母さんの涙です》
この元回天特攻隊員の遺書とされるものが世に出たのは平成7年。元海軍士官の男性が皇学館大の戦没学徒慰霊祭で講演し、大学が講演録として冊子にまとめた。この中で男性は自身を回天の元搭乗員と名乗り、先に出撃した仲間の遺書として名前を出して披露。遺書そのものは家族に渡したとして示さなかった。
男性は立命館大在学中、海軍に志願。海軍辞令公報によると、昭和19年12月に一等巡洋艦「八雲」配属の後、富山県の伏木港湾警備隊で少尉として終戦を迎えた。防衛研究所所蔵の回天搭乗員名簿に男性の名前はない。男性が遺書の作者として名前を出した人物は搭乗員の中にいるが、戦死の状況が異なる上、遺書に書かれている家族構成も実際とは違っていた。そもそも別の遺書を残しており、今回の遺書とは関係がなかった。
回天の元搭乗員でつくる全国回天会は平成12年、講演録をまとめた皇学館大に抗議した。当時は存命中の元搭乗員も多く、男性の話の矛盾を突き止めたという。大学側は謝罪し、講演録の絶版を約束した。
しかし講演録の販売は継続され、男性は各地で同様の講演を続けた。皇学館大は「担当者が不在のため詳細は分からない」という。動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」に男性が遺書の話を語る動画が配信され、回天の基地があった山口県周南(しゅうなん)市の観光協会が遺書の内容を手ぬぐいなどに印刷して販売、事実として定着した。
男性は戦後、広島県に住み、地元自治体の広報誌によると19年に死亡した。関係者によると、生前は特攻隊員の遺書の収集に携わっていた。
回天研究家の山本英輔氏は「似た内容の複数の遺書を組み合わせて創作した可能性がある。戦争当事者が少なくなる中、資料の創作や改竄(かいざん)はどこでも起きると考えるべきで、受け手の意識も問われる」と指摘。回天記念館(山口県周南市)の三崎英和研究員も「さまざまな状況を考えると創作と断定せざるを得ない。この遺書を信じて来館する人もおり、正確な情報を伝えたい」と話している。
さいごに
私のnote記事は営利を目的とはしておりません。
単純に涙した話を皆さんと一緒に共有したいと思い記事にしています。
しかしながら「著作権」などの問題がある場合は削除致しますのでお知らせください。
なお、掲載している画像は いらすとや 様 から頂いています。
最後までゆっくりお付き合いいただきありがとうございます。
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