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最後の手紙


№96 今回紹介するお話

「昨日4時22分に母が亡くなった。 風邪一つ引かない元気な母だった。」

今回紹介するのは、女手一つで自分と妹を育ててくれた母への思いを綴った投稿です。
※投稿時期に関して
2008年1月27日の投稿を確認しました、違っていたらごめんなさい。

このお話を元にしたYouTube動画がありましたので、併せて紹介していきます。

投稿内容

どこにかいたらいいかわかたんからちょっと書かせてくれ。

昨日4時22分に母が亡くなった。
風邪一つ引かない元気な母だった。

僕が幼稚園に入るころもう父はいなかった。
借金作って逃げたらしい。

朝は4時に起きて俺らの弁当作って
6時から17時まで弁当屋でパート。

帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って
11時までパチンコ屋で掃除のバイト。

休むのは月に3回あればいいほう。

そうやって僕と妹は育てられた。

反抗期なんてほぼ無かった。

あんなに頑張る母親を見て
反抗なんてできるはず無かった。

いや・・・一度だけあった。

クリスマスの2,3日前
ゲームボーイが欲しいとねだった。

友達がみんなゲームを持っていたのに
自分だけ持ってないと苛められると。

何故あんな嘘をついたのだろう・・・。

母は「ごめんね・・・」
と顔をくしゃくしゃにして泣いた。

僕も何故か悲しくなって
家族3人でボロボロ泣いた。

その日は3人とも同じ布団で抱き合って寝た。

クリスマスの日の夕食はおでんとケーキだった。

母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、
最後に「はい」とプレゼントを渡した。

古いゲームソフトだけを買ってきた。

「これだけじゃできないんだよ」
と言おうとしたけど、
うれしそうな母の顔を見ていえなかった。

あれから20年、
兄妹そろって大学まで出してくれた。

俺も妹ももう就職したし
これからは楽させてあげるから仕事やめなよ。
っていったのに。

働いてなきゃボケるって・・・
そんな年じゃないだろう。

どっか3人で旅行にいこうよっていってたのに。
妹の結婚式みるまでは死ねないっていってたのに。
なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。

何度も病院いこうって
言ったじゃないか。

先生も言ってた。
「あんなに我慢強い人見たこと無い」
って。

看護婦さんに
「迷惑かけてごめんね」
ばっかり言ってたんだってな。

いっつも人のことばっかり気にして・・・。

震える手で書いた枕もとの手紙・・・
読んだよ。

「耕ちゃんへ
小さいころはいつもお手伝いありがとう。
あなたはわがままをひとつも言わない
やさしい子でした。
妹の面倒も沢山見てくれてありがとう。
あなたが生まれてきてくれて
ほんとうにうれしかったよ。
あなたのお嫁さんを見たかった。

梓へ
女の子なのにおしゃれをさせて
あげられなくてごめんね。
いつも帰ったら
「ぎゅっとして」
といってくるあなたに何度私は救われたかわかりません。
あなたはあなたを愛する人を見つけなさい。
そしてその人のために生きなさい。

死は誰にでも訪れるものです。
悲しまないで。
あなたがもし辛いことがあったら
いつでもあなたの枕元に立ちますよ。
なんてね。

あなた達の母親で良かった。
また生まれ変わってもあなた達の母親でありたい。
それが私の唯一つの願いです。

体に気をつけて。
寒いからあたたかかくして。

それから・・・
それから・・・

きりが無いからやめとくね。
たくさんたくさんありがとう」

お母さん・・・
手紙涙でにじんでボロボロだったよ。

だから紙を買ってきてくれ
って言ってたんだね。

お母さん・・・

ありがとう・・・
ありがとう・・・
ありがとう・・・

まだ遊んでるよ。
プレゼントしてくれたスーパーマリオランド

YouTube

このお話を元に作られた動画がありましたので、一部を紹介します。
※ご紹介する以外にも動画はあるようです。

/ゆっくりが語る1分で泣ける2ch

(2ch)ひまつぶしチャンネル『LAN』

ショートバージョン

思い出のゆっくり2ch

さいごに

私のnote記事は営利を目的とはしておりません。
単純に涙した話を皆さんと一緒に共有したいと思い記事にしています。

しかしながら「著作権」などの問題がある場合は削除致しますのでお知らせください。
なお、掲載している画像は いらすとや 様から頂いています。

最後までゆっくりお付き合いいただきありがとうございます。


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