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新実家はトーキョーノースウエスト

父と私が生まれ育った世田谷の生家を家終いして、両親とは別世帯になって一人暮らしをした(同じ世田谷区内の)アパートは非常に居心地が悪く
隣近所にも恵まれず、何かがおかしく、異様な微振動や低周波音で睡眠障害にはなるし、これは霊障なのか?なんなのか?と霊障にしても酷すぎる!と居た堪れなくなってきて、公園のベンチで寝る日もあったりして、もう限界が近くなってきた時に、ふと、これは、もしかして?と思って、
電磁波を計測してくれるという人に頼んで来てもらったら計測器が赤く点滅してアラートが鳴るほど、とんでもない数値を叩き出した。
あーやっぱり、そういうことだったのか!と、それがわかった途端に
今までなんとか頑張ってきた綱渡り、ひとり暮らしの綱から落ちた。

蓄積された疲労と睡眠障害からくる体調不良と生家が解体され始めたというその現実を未だ受け入れられない心象ダメージとで、もうここにはいられない!と、計測してもらった翌朝、まさに着の身着のまま手に持てるぐらいの着替えと日用品をバッグに詰めて、両親が引っ越した東京の北西(フードエッセイスト平野紗季子氏が東京の最果てといった)板橋区高島平の隣町にある私にとっての新実家になる昭和マンションに避難した(転がり込んだ)のがちょうど1年前5月のことだった。GW明けの頃で、夜逃げをするようにアパートを出て慣れない地下鉄を乗り継いでの住み慣れた世田谷から板橋への移動は長く長く感じられた。東京でというか世田谷で生まれ育って50年を過ぎて両親の住まいがそこに決まるまで訪れたことがないエリアだった。都営三田線が終点西高島平駅までの数駅間が地上にあるというのも知らなかったし、高島平は東京のニュータウンとして社会の教科書に載っていた写真でしかみたことない私にとっても最果ての場所だった。(続く)

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