母親に死体蹴りされるのが嫌だからワクチンを打った話

自分自身は先日ワクチンを接種したものの、ワクチンを打つかどうかはあくまで自由であるべきだと思うし、強制することは無責任だ。
個人の選択を尊重しなくちゃならないと思う。
俺は他の人より可謬(かびゅう)主義で、複眼的に考える癖がある。自分の行った決定が社会的正義とは結びつかないので、ワクチン問題はかなり悩ましく気持ちが悪い。
健康上の理由で接種されないこともあるが、ワクチンは社会性を持っていて、それによって接種の有無が選択されることもある。政治や宗教的な向きもあるが、自分がワクチンの接種有無でまず思い出すのは、祖父の病院嫌いだ。
母は「死んだ祖父が病院に行くのを渋ったことで助からなかった」と未だに言う。
俺がワクチンを打たずに死んだ場合、母はそんなふうに俺の死体を蹴りつけてくるだろう。
そこには後悔を打ち消すような、言い訳めいた心境もあるには違いないが、そうだとしてもあまり気持ちがいいものではない。
母の名誉のために言っておくと、母は従順温厚な人間で、常識と思いやりのある人間だ。なのに、癌のことではそのくらい祖父の死体を蹴っぱる。
母でさえそんな様子だから、社会のそこらじゅうで無責任な人間がワクチン摂取せず死んだ人間を蹴りつけることは想像に容易い。
ワクチン摂取しない人間の意見が強く見えるのは、そういう社会性が後ろにあるからだと思う。もちろん、自分の背中側にあることも忘れてはならない。イタズラで殴る悪人もいるが、自分にも止むに止まれぬ葛藤があり殴りつける人もいるはずだ。
薬品アレルギーのように、選択肢がない人も同じように殴られるのはあまりにも悲しい。自分がアレルギーだからそう感じるのだと思う。
「社会に勝る個人」を獲得するためにワクチンを打つが、打たない人間もそれを求めている。
たどり着いた結論が異なるだけで、ワクチンを打たない人間を一様に殴りつけることはできない。
鏡の世界に住む自分を殴りつけてもあまり意味がないということだ。
個人的な見解では、ワクチンは金属で遠隔操作の5Gでミュータント化して、安楽死用のカリウムもしくは爆死させられるというシナリオを信じるのは、少し馬鹿らしく感じる。
馬鹿らしいが、命懸けなので、敬意は払うべきだと感じている。
例えば、向こうは俺のことを金属を埋め込まれて遠隔操作の5Gでミュータント化して、安楽死用のカリウムで死亡もしくは爆死すると哀れんでいるかもしれない。それでも少しは選択を尊重してもらえたら助かる。
ワクチン接種の有無は個人の自由であるべきだと感じているし、仮に宗教じみた理由に見えても、その人の社会性やパーソナリティはある程度尊重してあげるべきだ。

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