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和牛の改良

いぶさなで大事に育てている「竹の谷蔓牛」は現代の改良がなされる以前の血統の和牛です。
改良がなされる前、と言ってもピンこないですよね。
平たく言いますと、役牛です。
農耕や運搬等の人の助けとなる仕事を担っていた時代の牛です。

食べる牛ではなく、働く牛です。

現代の和牛は5等級のサシが入るように、そして成長が早く、より肉量のとれるように改良されています。
「竹の谷蔓牛」は近年の上記のような改良こそされておりませんが、改良されていないのかと言うとそうではありません。
「竹の谷蔓牛」の暮らしていた土地は山間部の村です。
冬は豪雪、今は限界集落。
交通網が発展する前は非常に険しく閉ざされた地域でした。
そんな地域で求められた牛は、急勾配で足元の悪い山道や小さな田畑も難なく行き来できる力強い前肩脚と小回りの利く小さめの腰回り。

姿としては「竹の谷蔓牛」とはこういう牛だという理想像があります。
性格的には、いぶさなにいる「竹の谷蔓牛」を見ていてそういう感じかなと。
そんな地域の産業に合う牛となるように200年かけて何代にもわたり理想の牛同士を近親も交えて交配を重ねて作り上げられました。

もちろん性格や遺伝的欠陥も配慮して交配は行われました。
性格的には狭い小屋飼いでも耐えうる忍耐と温厚な性格。
何頭か現代の血統の牛を飼っていますが、「竹の谷蔓牛」とはちょっと性格が違うなと感じます。
もちろん「竹の谷蔓牛」もそれぞれ個体により性格は違いますが、いぶさなにいる「竹の谷蔓牛」に関しては割と温厚で落ち着いているというおおまかな傾向があります。でも中には臆病な子もいますよ…

他の農家さんの話を聞いてよその農場でもあるんだなと思ったのが、この種牛の子はだいたい性格はこんな感じになるんだなと言うこと。
うちでも、とある現代の和牛の種牛の子は一様に落ち着きがなく、雌が産まれても跡取りとしては残せないと判断している血統もいたりとか。

他にうちにいる牛で言うと、ジャージーやあか牛が掛け合わされた血統の牛はあまり人と馴れ合うタイプではなかったり。

※あくまでうちにいる牛の話しです。きちんと飼い馴らせば違う結果にもなるでしょうし、個性もありますので。
もっと色んな牛を見ると分かるのかもしれませんが、なんせうちにいる中でしか観察できないので非常に偏りはあります。ご容赦ください。

一昔前は人と共に生活する相棒としての牛の改良だったわけです。

現代の和牛の改良はそれとは目的が違います。
肉の見た目と、とれる肉量で評価(取引価格)が決まりますので当然のことながら高評価されるような改良がなされます。
そして効率よく早く育つ牛。
これは鶏も豚も同じです。20 年前とは全く成長スピードが違うとどちらの農家さんからもお話されていました。

食べるための牛としての改良が始められた時には(明治〜大正時代)海外の牛とも掛け合わせが行われました。そして日本各地の高評価を得た牛を積極的に掛け合わせながら現代の和牛となって行いきました。

今は多少地域特有の和牛の血統もおりますが、それもだんだん人気が落ちています。農家の求める牛はだいたい改良最先端の和牛の血統。
改良が進むごとに地域性のある和牛は姿を消しています。
戦前戦後くらいまでは「竹の谷蔓牛」のような地域特有の牛があちこちにいたのではないでしょうか。
牛の役割が変わり淘汰されたり掛け合わせられて5代祖以上前にはその血統が入ってたかもね位のが殆どではないでしょうか。
経営を考えれば仕方のない事でが。

実際「竹の谷蔓牛」で経営を成り立たせるのはとてもとても大変です。一般市場での評価価格は散々な結果です。何やってるんだろうと現実を突きつけられます。
時代に合った牛ならば結果(A5)を出す努力さえできれば随分と経済的には楽だったことでしょう。なんせ改良のお陰で20年前とは比較にならないくらいA5評価になる肉が多いのですから。

ですが私は家族と共に「竹の谷蔓牛」がいるからUターンして父から農場を引継ぐ事を決めましたし、初めて畜産に取組んだ時点がそうだったものですから、肉作りの目的・目標が格付評価とは180°ズレているものの違和感はありません。

何においても改良は素晴らしい結果も生み出しますが失われて残念に思うこともあります。
牛に関しては精液が保存されていない限りもう昔に近い和牛には戻せません。
きっとそれぞれに地域特有の個性的な味わいがあったのでしょうね。育ててみたかったです。


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