QAエンジニアになった、地方在住者の話④
前回からの続きです。
地方の工場のみではなく、業界的・日本中でも日本生産から海外生産へのシフトが活発になった時期がありました。10年ちょっと前の事だったと思います。日本で作るよりもタイやマレーシアなどで生産することによってコストを下げようということでした。実際部品は既に海外で生産しているものが多かったので、部品を輸入して日本で組み立てるか、海外で組み立てまで完了させて輸入するかという点でデメリットよりもコストメリットが高そうだ。(当時の見解では)というところで海外シフトが進んでいったのだと思います。
部品メーカーなどはそれ以前に既に打撃を受けていましたが、これによって国内の製造メーカーも大きく打撃を受けることになっていきます。ある会社は廃業したり、またある会社は規模を大きく縮小したりとしていきました。
仕事を受注している体制では、独自開発する以外にはこれを回避する術がありませんでしたから、自分が勤めているところも大きく売り上げを落としていきました。
それでも「地方の工場を潰さない」という選択肢を親会社がしてくれたおかげで何とか閉鎖だけは免れましたが、大きなリストラがあり何割かの社員は去っていきました。自分はギリギリ在籍10年に満たなかったので割増退職金を満額で受け取ることができず、辞めるかどうかギリギリまで悩みましたが留まることにしました。ただ、この先仕事があるのかという不安は拭えないままでした。
程なくして新規事業についての発表がありました。自分たちでもいろいろと模索していましたが、どれも収益性を確保できるところまで至らず…と会社が判断し、親会社から製造以外の仕事を受注することになりました。
その業務がソフトウェアのテスト業務でした。
これまでハードウェアの製造しかしてきていない社員にとっては全く未知の世界ではありましたが、会社を存続させていくためにやるしかない!といった感じだったのでしょうか。
自分が所属していた品質管理部門ももちろん生産減に伴い仕事が減っていました。上司から個別に面談があり新規事業について聞かれました。
はるか昔にはプログラマーになりたいと思っていたので、ハードウェアよりはソフトウェアの業務に携われるならそちらの方が合っていると思ったので、可能であれば異動したい。という想いを伝えました。
見事希望が通り、10年近く勤めた品質管理部門を離れテスト部門に異動することとなりました。まずは業務習得のために親会社に出張することとなりました。9月から2月頃までの長期出張ということでしたが、出張先が仙台だったので専門学生時代に2年間住んでいたこともあり、滞在には不安はありませんでした。
ナビゲーションのテストをすることになりましたが、全てを一人で学んでくるというのは難しいということで、「テスト計画」「テスト設計」「テスト実行」という分担で3名で研修してくることになりました。自分は「テスト実行」を割り当てられましたが、本音では計画や設計の方がやりたかったです。
ただ品質管理部門での出荷前検査でナビの操作には慣れていたので、その点から実行に割り当てられてしまうのは仕方がないのかなと思いました。
まずは習得することを優先として、後から上の仕事に食い込んでいけばいいか!ということで気持ちを切り替えて臨むこととしました。
つづく
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QAエンジニアになった地方在住者
地方からフルリモートでエンジニアとして働いています。 そこに至るまでの経緯ややってきたこと、そして給料がどう変化していったか・・・気になり…
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