仲間が欲しいだけだったのかもしれない
note、書くたびに本心に近づいている感覚がある。
いや、どれも嘘ではないんだけどね笑
気付いたことがある。
いや、気付いていたけど言いたくなかっただけかもしれない。
私には、たくさんの人の価値観を無限に出会わせたい、という軸がある。
ここにはその理由が、価値観の違いを見つけるのが好きだからとか、ぶつかり合いが嫌だからとか書いてあるけど、
本当の理由はもっと心の奥底にある、もっと自己中心的なものだったんだ。
人同士の価値観を出会わせたい、それはもちろんそうなんだけど、
本当は、自分自身がいろんな人に会い続けていたいんだ。
いや、会い続けていないと不安でたまらないんだ。
私は私の価値観がわからなくて、怖いから。
この後に書くことは、今までで一番のありのままだと思う。
性善説とか性悪説とか知らんけど、
そもそもこの気持ちが善と悪のどちらにあたるのかなんて決められないと信じたいけど、
私には、命に対する戸惑いがある。
おそらく一生付きまとわれるであろう答えの出ない迷い。
それは、動物の命を扱う職業の人だって命を大事にしてないわけじゃないから悪人じゃないとか、命を奪わないっていう理想と奪わなきゃ生きていけないっていう現実の対立とかじゃない。
なんというかもっと、
もっと個人的な心の内側の葛藤なんだ。
命の尊厳を守るために必死になる人を見ると苦しくなる。
その人たちと逆の行為をしていることに
そのことにいちいち心を痛めるくせに
自分の行動に耐えられなくは、ならないことに。
その人たちのような優しい心を持っていないと気付いてしまったことに。
何度も何度も自分に問いかけた。
あなたはどうして命を奪えるの?
あなたはどうして笑って世話ができるの?
本当は動物想いじゃないの?
じゃあなんで今日は泣いているの?
どうしても答えは出なかった。
私は知っている。
動物実験しないと薬はできないから仕方ないと言い切る研究者にも、動物を想う瞬間があることを。倫理的規則は決まりだから従っているだけじゃないことを。
面倒なことに、頭と心は違う。
こればっかりは理屈だけじゃ変われない。
それに心は変えようして変わるものじゃなくて、
変わるかもしれないという、ある種の関心で、いろんなものに触れているうちに変わるものだ。
命を大事にする人の話を聞いた次の日は、だいたい平常心でいられない。
でも、それはつまり、明らかな気持ちの変化が起きているということだ。
今は一過性の気持ちの揺らぎだけど、その気持ちに寄り添い続けたら何かが変わるだろうか。
傷付いたらごめんなさい。でもこれが私です。
だから私は、
こういう葛藤を共有できる仲間が欲しい
こんな私たちの心を動かしてくれる、心から命を想う人の近くにいたい
未来は違う気持ちでいてみたいから。
私が価値観に出会い続けたいのは、そういうこと。