白くて小さな女の子は冷たいと思ってた~ハジマリ~

 今から四半世紀以上前、まだ弾ける前のバブルで世の中浮かれていた。長い髪をなびかせて踵の高い靴を履いてソフトスーツの男がスポーツカーで迎えに来て輝く夜の街で高いお酒をあけて…。私も大人になったらそんな遊びができるようになるのかな、と思っていた。しかし、周りを山に囲まれた田舎では無理な話しだ。そんなのテレビの中のお話し。

 黒い制服で高校の窓から青い山脈を見ながら、いつも頬杖をついていた。耳の上まで短くしていた柔らかいねこっけを彼に言われて伸ばしていた最中だった。黒い制服は事務員みたいで、事実事務員製造高校だった。女子が7割の商業高校で選択した科により3年間、ほぼクラス替えのない代わり映えのしない息苦しい教室の中で、入りたくて入った学校が入って3週間で嫌になった。まぁ、大体どこもそんなものだろう。ともかく、学校一のプライドの高さを持つ女子38人、青春を謳歌できる部類男子7名、そのどこにも属さない8名で3年間を過ごすことになる。私はその何者でもない部類に属していたのだが、どこからも話しかけられないわけでもなく、どことも深く付き合わないそんな感じ。他人でもなければ友達でもない。そんな程度だ。でも、「クラスメイトでしょ」と一括りにされる不思議。

 窮屈な3年間をなんだかんだ言って終わらせ、私は生まれた町を離れた。山しかない町にはうんざりだった。それでも、仲良くしていた友人には行き先を告げ、卒業後も時間があったら遊ぼうね、と話していた。その一人、可児君は、陸上部じゃなかったけど長距離が得意でひょろっと痩せていた。あんまり口数が多いほうではなかったけど、特定の仲間の間ではよくしゃべって面白かった。音楽の趣味も服もジョークも趣味が合った。パンクバンドのテープをウォークマンで聴きながら、放課後教室で少しだけ話して帰るのが楽しかった。こうかくと青春で恋でも始まりそうに思えるが、そんな雰囲気はまったくなかったのだった。それも不思議。

 私が新しい生活のために引っ越し準備をしている間、可児君たちは自動車学校に通い普通免許を取得していた。高校卒業後働きに出る高校生は1月頃から自動車学校に通う慣習があった。そこで、近隣の他校の生徒と知り合い、カップルになったりする。自動車学校はちょっとした出会いの場であった。卒業で浮足立つ空気感のなかで、大好きだった祖母が亡くなり髪を伸ばすきっかけとなった先生とはまともに話をする時間もとれないまま「あぁもう終わるんだな」とうすうす感じていた。自由登校になり、友達ごっこをしなくてもよくなったのだけは清々していた。ただ卒業だけを待ち望んでいた。

 卒業式の思い出はあまりない。遠い記憶の彼方だ。

 卒業して、父の仕事を手伝いながら一人暮らし費用を貯めていた頃、可児君の周りで一波乱起きていた。それを知ったのは明後日引っ越すという金曜日の午後だった。家の近くで可児君に会った。可児君の制服をステージ衣装に使うため譲ってもらうためだ。わざわざ自転車で来てくれたので、喫茶店にでも行かない?と誘ったのだが狭い町なので誘った店が父の知り合いだから見られたら困る、という理由で立ち話で終わってしまった。この時、座ってゆっくり話すことができていたなら、まったく違う人生があったかもしれない。最近の可児君は仮免に合格しあと一歩で免許も取れるところまで行っていた。来週から社会人としてN市の今でいうIT企業のSEとして働くことになっており、自由に遊べる最後の春休みだった。「楽しんでる?」と聞くと、そうでもないよ、と浮かない返事が返ってきた。自動車学校で他校の女の子に気に入られ、同じ高校の男友達を通じて遊びに誘われるのだそう。カラオケとか行ったけどどうしたらいいか、わからなくて、と呟いた。パンクロックを歌いながら、楽しく話をしていた私としては不思議に思えたが、きっと普通の女の子はパンクなんか聞かないのだ。

 もっと話したかったが、可児君はそそくさと帰ってしまった。「また、電話するね。N市で遊ぼう」去っていく可児君にそう言って、長い坂を下って私は家に帰った。

 そして、私は生まれた町を出た。

 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?