白くて小さな女の子は冷たいと思ってた~ベツベツ~
引っ越しはしたが、学校が始まるまでは実家に戻っていた。なんのための引っ越しだったのか・・・。
入学式には母と二人で電車で行った。初めてスーツを着てパンプスを履いた。化粧は薄くしたような気がする。伸ばしかけの髪はどうにもならないのでカチューシャをした。紺ブレでカチューシャでまるで赤名リカのようだ。
女子の多い高校から、女子しかいない学校へ進学した。どこを向いても女子しかいない。私の様にスーツを着慣れていない娘もいれば、パステルカラーのスーツを着こなし化粧もしている娘もいた。N市の外れの郊外と言えど
そこは山奥とは全く違う都会だった。人の多さと女子の多さがこれほどまでに居心地が悪いのかと、陽光の中で思った。
その夜、私は熱を出した。ストレスは体の悪いところに出るというから、熱が出たのか。これまであまり熱が出ることはなかったが、今後ことあるごとに熱を出すことになる。
学校から2駅離れた場所にアパートを借りてもらい、一人暮らしをさせてもらった。同じ町から通っている友達もいたが、往復4時間がもったいない、勉強したいともっともらしいことを言い、親にイエスと言わせた。
学校が始まったすぐはすることがなくて、時間だけがあった。バイトも部活も始めてなくて、午前中に学校に行き学校生活の説明を聞くだけだった。友達もまだおらず、ただなんとなく地下鉄で学校に向かい昼前には終わり帰ってくる。家にはテレビがなかった。実家にいるときからテレビを見ていなかったのでいらないかな、と思ったのだ。実家にいるときはテレビのチャンネル権が自分になかっただけなのだが。学校のガイダンス資料とシュラバスをみてみるが、一年の早いうちに単位は取ってしまいたかったし、教養課程がほとんどなので高校生並みに学校があることになる。午後から近所を散策したりした。4月の明るい日差しの中を広い公園があったり、ちょっとした雑貨屋が入っているファッションビルがあったり、お手頃価格のお好み焼き屋があったり、美味しい喫茶店があったりして住みやすそうな町だった。
一人で散策して、一人で買い物をし部屋に帰って料理をする。3世代で暮らしていたので、一人の食卓はとても静かで寂しかった。音がないと寂しいのでずっと音楽をきいていた。本を読んで寝る。
一人暮らしをするのは楽しみだった。家族と暮らしていた窮屈な生活から自由になれるのだ、と思っていた。しかし、それが思い違いであったことを知るのに時間はかからなかった。
家族でいるから、人が周りにいるからこそ一人の開放感を感じられるのだ。「咳をするのも一人」と詠んだのは誰だったか。
起きるのも、寝るのも、食べるのも一人。
つまらない。話す人もいない。学校に行けばそれなのに話すのだが、部屋に帰ると静まりかえっている。高校3年生の間、バイトで貯めたお金で引いた電話も誰にも教えてないので鳴りはしない。いや、まったく教えてないわけではなかった。
「可児君、仕事慣れたかな」
電話はならなかった。4月から、社会人となってN市の中心部に通っている可児君。3月まで同じ教室で黒い制服でクスクス笑いあっていた可児君がスーツを着てサラリーマンになっているのは、とても想像がつかない。柱にかけてある時計を見上げると8時を回ったところだった。新入社員は早く家に帰れるだろう。電車で45分…駅から車で20分。もう家に着いただろうか。私は電話の横に置いてある高校の生徒名簿を取り出した。自分のクラスのページを開き、可児君の自宅の番号を押した。数回コールが鳴り、可児君のお姉さんだろうか?女の人が電話に出た後可児君が電話口に出た。なにを話したかははっきり覚えてない。が、数日後、私たちはN市の繁華街で顔を合わせた。
18時。繁華街の待ち合わせ場所で有名な広場から少し離れたビルの入り口で待ち合わせをした。いつもはジーンズやパンツスタイルが多かったが、今日は短大生らしくタイトスカートをはいていった。制服以外のスカートで同級生に会うのは初めてだった。
やや時間が過ぎた頃、スーツに着られたような可児君が現れた。学生服とは違った社会人の可児君は大人に見えた。ドラマなら、こういう時「よぉ」とか手を挙げて挨拶して、「お茶でもする?」と、喫茶店にでも入るのだろう。しかし、ちょっと前まで田舎の高校生だった私たちにそんな粋なことはできなかった。いや一応声はかけたのだ。「どっか店行かん?」と。でも、断られたのだ。今なら間違いなく飲みにいっている。
入れる店も知らず、特にすることも知らない私達はふらふらとテレビ塔前の公園を歩いた。どこかに座って話しでもすればいいものをただ歩いてるだけだった。入学と入社してからのちょっとした報告は10分もかからないで終わってしまった。もっと笑顔で話せるかと思っていたが、可児君は俯いて時折溜め息をついた。
「どうかした?」私は、覗き込むようにしてきいた。
可児君は顔をあげ、
「シドみたいにピストルで撃たれて死ねたらいいのに」
と、言った。
いきなりの一言で驚きはしたが、だいたいの予想はついた。
「エレベーター開いたらさ、全く知らないやつがピストル持ってていきなり撃たれて死にたい」
シドは、シド・ビシャスのことか。パンク好きの可児君らしい言い方だ。溜め息混じりに、可児君が話したのは3月の下旬に聞いた他校の女子のことだった。車校で出会った女の子にアタックされているらしく、初めはみんなでカラオケ程度だった誘いが、徐々に積極的に密になっていった。最初こそ男友達の手前、付き合いで出かけていた可児君だったが、自分と趣味の違う女の子に戸惑いは隠せなかった。そうしているうちにも自宅に電話が頻繁にくるようになり、少し歳上の兄にも冷やかされる日々を送っていたのだ。そこにきて、私からの電話で完全に可児君モテ期の到来か、とちょっとしたフィーバーだったらしい。それが彼には負担で仕方ないのだった。「付き合っている女の子がいないのに、アタックされてるのを断るなんて」という風潮があったころだ。あちこちからやいやい言われ、心底疲弊しているのだった。
「何話していいかわからないんだよ。相手の趣味もよくわからんし。俺の趣味とかも知らないようだし…。」
それはそうだろう。ゴリゴリのパンクが趣味な女の子はそういない。
「俺、伊吹さんと付き合えばよかったな」
私の方を向かないで、可児君は言った。
ドキン。とした。でも、
「じゃあ、つきあおっか」とは言えなかった。
「俺を殺してよ。ナンシーみたいにさ」
憔悴しきった可児君は破滅へと向かっていきたいのだ。もちろん、本気で死にたいわけではない。彼は突然の死をもって世の中を終わらせたいのだ。それほどまでに、彼女のことが重いのだ。そして、私はわかっていた。私たちがつきあったところで、可児君の憂鬱は終わらないことを。
その日は、1時間くらいして別れた。地下鉄の改札まで送ってはくれた。
「また、連絡するね。今度はご飯でも食べよ」そう言って、私は務めて明るく手を振った。ああ、と可児君は言うとそのまま自分の乗るホームへと消えていった。
でも、それっきり可児君から連絡が来ることはもちろん、電話がつながることもなかった。
彼女とどうなったのか、可児君がどうなったのか、まったくわからない。
一度、実家に帰ったときに、可児君が通勤で使っている車を見に行った。小さな紙に「元気ですか」とだけ書いて、雨が降りそうだったので小さなビニール袋に包んでワイパーブレードに挟んでおいた。
それっきり、私たちは別々の世界で暮らした。
あの日が来るまで。
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