その目で見たものは【短編】
午前零時過ぎ。
港にある貨物倉庫の中には、白い靄のようなものが薄く立ち込めていた。
ダークブルーのジャケットとタイトスカートに身を固めたキャロルは、倉庫内の空気を凍てつかせるような微笑みを浮かべて、銃口をロレンスのほうへと向けた。
キャロルの切れ長の両目には、怒りとも失望ともつかない感情が宿っているように見えた。
彼女はロレンスへ銃を向けたまま、すでに骨と肉の塊と化したオリバーの近くへ歩み寄った。
微動だにせず横たわるオリバーの頭からは赤黒い血が流れていて、目は見開かれ、舌が口の端からだらしなくはみ出している。
彼の変わり果てた姿を改めて目にして、俺は息を呑んだ。
俺の隣にいるサラも、眉間に力を込めて彼の様相を凝視しているようだった。
犯罪組織のリーダーのキャロルは、その冷徹さと計算高さ、際立った判断力と決断力によってメンバーを統率してきた。
ロレンスとオリバーも、キャロルの備えるカリスマ性に惹かれてメンバーに加わったと話していた。
キャロルは、目的のためであれば邪魔するものは徹底的に排除し、ときには人の命を奪うことも全くいとわない。
そして、彼女の冷徹さの向かう先は、仲間でさえ例外ではなかった。
この世に二つと存在しないと噂されている、虹色に輝く大粒のダイヤモンド――通称『ザ・レインボー』を盗み出したところで、ロレンスとオリバーは持ち逃げしようと企んだ。
ザ・レインボーを確保したまま、彼らは忽然と行方をくらましたのだ。
しかし、キャロルの指示の下で他のメンバーたちによってすぐさま居場所を特定された。
さらなる逃走を図ったロレンスとオリバーをキャロル他数名で追跡し、そして貨物倉庫に至る。
キャロルに対して弁解を並べ立てたオリバーは、彼女の逆鱗に触れてしまったようで、一撃で射殺された。
言い訳がましい態度をよしとしないキャロルの性分を、彼は理解できていなかったのかもしれない。
宝石を持ち逃げしたことも、言い逃れしようとしたことも、いかにも軽率だったと言わざるを得ないだろう。
そしてそれは、ロレンスにも同様のことが言えるに違いなかった。
――裏切り者には、死を。
それが、キャロルの揺るぎない信念であるようだった。
ロレンスは、彼女から銃を向けられ、一歩後ずさりする。
「動くな」
キャロルが低く、短く言うと、ロレンスは一瞬体を震わせた。
俺はというと、拳を握ってその光景を黙って見やることしかできなかった。
「わかってるわね?」
銃口をロレンスに向けたまま、キャロルは言い放った。
ぎりィ、とロレンスは歯ぎしりをする。
その両目は、少なからず血走っているようにも見えた。
目論見が外れたことを悔しがっているのか、それとも――。
「残念だわ、ロレンス」
微笑みを消して、キャロルは語気を強めた。
「大事な仲間をここで失ってしまうことが、残念で仕方ないわ」
言葉とは裏腹に、彼女はすでに動かなくなったかつての仲間の頭部を踏みつけた。
何度も、何度も、踏みにじる。
「待ってくれキャロル、違うんだ!」
「違う……? 何が?」
キャロルはロレンスの言葉を受けて口元を歪め、オリバーを踏みつけた足に一層の力を込めた。
そして彼女は続ける。
「こんなはずじゃなかった――とでも言いたいのかしら」
キャロルは眉根を寄せて、引き金にかけた人差し指をわずかに動かす。
「待ってくれッ!」
ロレンスが叫ぶ。彼の額には無数の汗が浮かんでいた。
「俺らが悪かった、キャロル! 許してくれッ」
「悪かった? ……そうね。悪かったのよ、おまえたちは」
そしてキャロルは真顔になり、オリバーの頭部を蹴り上げた。
その骨と肉の塊は地面から一瞬浮き上がり、ゴツリと固く鈍い音を立ててコンクリートに打ちつけられた。
その有り様を目にして、ロレンスの息遣いが次第に荒くなっていくようだった。
俺もサラも、息を呑んでその光景を見やることしかできないままでいた。
「ザ・レインボー……罪深いわね。ただの石ころが」
そう言って、キャロルは一歩前に出た。
銃口はロレンスに向けたままだ。
そして彼女は、ロレンスに向かって告げる。
「とりあえず、そこに跪きなさいな」
「頼む、キャロ――」
「跪け」
銃声。
ロレンスは崩れ落ちる。
一瞬のことだった。
「――ッガあぁッ!?」
数秒遅れて、ロレンスは撃ち抜かれた膝を抱えてのたうち回った。
無機質なコンクリートの地面に流れ出す、赤黒い河。
「少しばかり頭が回れば気づけたはずよ――私から逃げられるわけがないことを」
キャロルの銃が再び火を噴く。
「ぐあぁアあッ!」
ロレンスの叫び声があがる。
すでに負傷した膝と反対側の大腿部に、弾丸が撃ち込まれた。
ロレンスは両脚を抱きかかえながら、顔を歪めてもがく。
「本当に――残念だわ」
キャロルは無表情のままだった。
それからゆっくりと目を閉じ、数秒の間何かを考えるようにしたあと、彼女は「ふん」と鼻を鳴らして目を開いた。
「チャンスをくれてやろうかしら」
そう言ってキャロルは、ジャケットから一枚のコインを取り出した。
掌に乗せた円形の無機物の上面は、黒ずみを含んだ、血のような真紅だった。
俺は、嫌でもオリバーとロレンスの銃創を想起させられた。
そしてキャロルは、コインを手に握り込んで言った。
「このコインを投げて地面に落ちたとき、白色の面が上に出れば命は助けてやる。どこへでも行くといいわ。赤色の面が出たときは――永遠にお別れよ」
ロレンスは何も答えず、キャロルをにらみつける。
あるいは、言葉を出そうにも喉から出てこないのかもしれない。
彼にはもはや選択の余地がないように思えた。
ロレンスの無言を承諾と捉えたのか、キャロルはコインを空中高く投げ上げた。
そして、甲高い音が何度か響いたのちにコインが静止する。
赤色だった。
「祈れ」
キャロルから射貫かれるような目と言葉を向けられ、ロレンスは途端にひどく怯えた様子を見せた。
しくり、と俺は胃の辺りが疼く。
「待ってくれ! 助けてくれッ!」
ロレンスが声を張り上げた。
「見苦しいわね。地獄でオリバーと仲良くしてなさいな」
「クソが……ッ!」
絞り出すように、ロレンスはキャロルに向かって言った。
「覚えてろッ、俺を殺したところでまた誰かが裏切るだろうよ! 騙して、奪って、殺して、どこまでいっても俺たちはゲスで、どうしようもないクズの集まりなんだよ! おまえだって一緒だろうがキャロルぅッ!?」
「…………それがおまえの信仰か? 美しいな」
がちり、とキャロルは撃鉄を起こした。
「だが、私の知ったことではない。虫唾が走る」
鋭さを増した切れ長の両目で、キャロルはロレンスを見下ろす。
「ぐゥ……ッ!」
「あいにくと、私はゲスでもクズでもない。……おまえには理解できんだろうがな」
「なっ――キャロルぅうッ!」
「ロレンス」
炸裂音。
「地獄でまた、な」
頭部に鉛の塊が直撃し、コンクリートの地面の上でロレンスは動かなくなった。
不意に訪れる、静寂。
巻き起こった硝煙が、倉庫内一帯の空気にこびりついているようにさえ思われた。
俺の握っていた拳の内側は、いつの間にかじっとりと汗がにじんでいた。
キャロルは地面に落ちたコインを拾う。
一瞬だけ目を細め、両面赤色のそれをロレンスの頭部の近くへ投げた。
真っ赤なコインは、どす黒い真紅の河に同化していく。
そしてキャロルはこちらを――俺とサラのほうを向いた。
その瞳は哀しみにあふれているようでもあり、憤りに満ちているようでもあった。
「生きるチャンスなんて、ゲスとクズにくれてやるわけがないだろう」
キャロルは強く言葉を吐いた。
凍りつくような視線がこちらに向けられる。
彼女は再び口を開いた。
「さて、見てのとおりだ。おまえたちはまさか、な?」
俺は胃のあたりを握りつぶされたような感覚を抱く。
キャロルは俺とサラのほうを見すえて、再び撃鉄を起こした。
その瞬間。
――フッ――――
部屋が真っ暗になった。
「あれ?」
沙羅の声。
停電だった。
「ちょっとォ! 映画、イイとこだったんだけど!」
沙羅が抗議めいた声を俺に向けてくる。
「ねえ、ブレーカー見てきてよ」
やれやれ、と思いつつ俺はスマートフォンを持って立ち上がり、暗がりの中を洗面所近くの配電盤へと向かう。
ライトをつけてブレーカーを確かめようとしたとき、電気が復旧して、室内が元の明るさに戻った。
おーい、と沙羅の呼ぶ声がリビングのほうから聞こえてくる。
シリアスで過激なシーンが続いていたから、内心ではきっと心細いのだろう。
俺は俺で、掌が汗でべっとりだ。
そして俺は、おう、と返事をして沙羅のもとへ戻った。
(了)
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