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2024年振り返り①



2024年がもうすぐ終わります



この一年今まで以上に、色々な出来事や素敵な出会いがあり、振り返ってみればみるほど、凄い一年だったなと感じます



Instagramにも書いた通り、この一年は毎月、何かしらのトピックがありました。


2024年の総括として、それぞれの月に何があったか、何が印象的に残ってるか、超超個人的になりますがここに書き残そうと思います
思い出の一つとしても残します!



1月


1月、最も印象的で、忘れてはいけないこと。



"能登半島地震" です。




1月1日、石川県で震度7の地震が起こったあの日。





ちょうど帰省期間で、私は実家がある富山に帰省していました。


サッカーの日本代表戦を見ていて、森保監督がインタビューを受けている時にその地震は起こりました。


私が住んでいる地域は震度5強でしたが、かなり揺れました
テレビ上のONE PIECEのフィギュアや二階にある本が崩れ落ち、その後の余震も結構ありました


家は、海や川、山からは離れている場所だったので津波や土砂崩れの心配はありませんでした
なので避難をしなくてよかったので、そこは唯一安心しました


ですが同じ富山県の氷見市という地域は、かなり被害があったみたいで、氷見市の住人や飲食店、旅館などはかなり地震の影響を受けました。


地震当日1月1日、私たち長江家は、私と父母、祖父祖母、従兄弟の家族で、氷見にある旅館で年越し旅行をしていました。 


12月31日からその旅館に泊まり、その旅館で年を越し、翌日の1月1日のお昼に解散し、ちょうど家に帰ってゆっくりしている時に地震が起こりました。


3時間前にいたその旅館も、地震によって被害を受けました。



不幸中の幸いとはこの事だなと思いました。



しかし、旅館の従業員の方や宿泊されている方も大勢いました


1月1日、私たちが朝食を食べている時も、かなり宿泊客がいました


幼い子もお年寄りも、幸せで楽しそうなご家族もたくさんいました


なのでその方達が被害に遭われた考えると、
なんかすごく怖かったです




もし私たちがその場にいて、その場で地震に遭ったら一生のトラウマになっていたと思います



震度5強でもかなり恐怖だったのに震度7を経験した、被害にあった方達のことを考えるとちょっと辛すぎるなと、地震の恐ろしさを感じた日でした



1月の最も印象に残っている出来事はその地震ですが、その他にも私にとってのトピックは結構あって、


富山の地元の友人、私の大切な大切な友人たちと久しぶりに会って新年会をしたこと



藤枝順心の同期たちと静岡で再会したこと



会いたい人に会えて、懐かしさを感じ、友達の有り難みを再確認した月でした。



2月


2月は、長野パルセイロでタイキャンプへ行きました。


極寒の長野から、猛暑のタイへは、生活や身体が慣れるまでは結構大変だったし、その中でニ部練も走りもあったのでかなりキツいキャンプでしたが、


このキャンプを通して、チーム力も精神的な所も上がったかなと思います。


バンコクやチョンブリへ観光も行けたし、タイ料理も堪能できて、キツかったけどそれ以上にとても楽しい二週間でした。


タイの子供達と一緒にサッカーできたこともとても印象に残っています
言葉は通じなくても、サッカーを通して一緒に楽しめたこと、楽しいを共有できたことはサッカーの凄いところです。
それを感じれて良かったです。




めちゃくちゃ焼けたけど!!!!!



帰国した3日後ぐらいに原因不明の体調不良に襲われて、家で一週間死亡していました。




それもそれでいい思い出です!💀🤘🏼



3月


3月は私の22歳の誕生日で、その日は長野Uスタでの試合がありました。


私はメンバー外で上から試合を見ていましたが、2-0で勝ってくれました。


試合後の場内挨拶では、サポーターの皆さんや選手の皆さんからバースデーソングを歌ってもらい、とても幸せな1日になりました。


きっとその日は、1番の幸せ者でした。


皆さんありがとうございました!!!



4月


4月。


もう過去のことなので言えることですが、この4月はかなり精神的にやられた時間でした


キツい時間というか、苦しかったというのが正解かもですが


サッカーを一切楽しめなくなった時間でした



そしてこの時期の長江伊吹は、多分別人でした 



我を見失ってました



思い出したくもないけど、これは振り返りなので思い出します



はっきり言うと、腐ってたし、やる気もなかったし、何事にも中途半端に過ごしてたし、矢印が完全に外に向いていたこの時期




自分のことがとにかく嫌でした



そして私がこのチームにいてはダメだと思ったのはこの時期からです。



ですがそんな中でももちろん楽しいこともありました。




お花見や、行ってみたかったカフェにも行けたし、今では大好物のベーグルにも出会ったのがこの4月でした



そしてネガティブばかりの感情のままサッカー続けていっていた中で、



まだまだ頑張らないとなと思わせてくれたチームメイトがいました。



名前は出さないけど、その人は私に手紙を書いてくれました。大したことじゃないってその人は言うと思いますが、私は本当に感謝してます。


小さな紙に、小さな字で、最後の行まで思いを書いてくれたその手紙は、今もずっと財布にいれてあります。


多分その本人は覚えてないだろうな


でも、めちゃくちゃ嬉しかったです!!!



4月は、私の中で良い意味でも悪い意味でも、思入れがある月でした。



5月



5月は、2023-24のシーズンが終わった月でした。



当時のパルセイロは、3月3日の試合から勝ちがなく、引き分けや負けが続いていました。


雰囲気も良くなかったこの時期は、チームとしても苦しかったと思います。


その中で迎えたシーズン最終節
ホームでの試合は、2-3と最後に劇的な勝ち越し弾を許し、最終節も負けでシーズンが終わりました。



シーズンの最終節は毎年経験してますが、やはり勝ちたいという気持ちがどの試合よりも強くなります。


最終節の試合前には、このチームから退団する選手や引退する選手が何人か決まっていました。



その選手達のためにも絶対に勝ちたかったので、
この負けは全員、悔しかったと思います。



最終節後にはファン感謝祭とチームの納会があり、シーズンが終わっちゃったんだなと寂しい思いや悲しい思いもありました。




5月はまとめると、私の中では寂しい、そして少し後悔の残る一ヶ月でした。



6月



シーズンも終わり、去就を決めないといけなかったこの6月。




オフ期間でしたが毎日のように、考えて悩んで誰かに相談し、頭がパンパンパンでした。





パルセイロの強化部の方とも何度も話しました



そして6月末、移籍を決めました。




移籍を決めてから引越しや新居探し、新しいチームでのいろいろな契約など、やることが多すぎて毎日バタバタしていました。



その中で、パルセイロの選手やお世話になった飲食店や行きつけのお店の方にも移籍のことを伝えました。


頑張ってねと応援してくれた人もいましたが、寂しいよと言ってくれる人もいて、すごく複雑な気持ちでした。



一ヶ月ほどオフがありましたが、オフどころじゃなかった6月でした。




あ、でも、オフは何もしなかったということではなく、富山に帰省して母の料理を堪能したり、おじいちゃんおばあちゃん家にも行って家族との時間も楽しみました。


お母さんの作ってくれるオムライスと生姜焼きは世界一美味しいです。


この帰省で改めてそう思いました!!!




他にも、愛知の岡崎観光や、静岡の知人宅にも遊びに行ったり、この6月も会いたい人に会えて楽しい、そんな一ヶ月になりました。




そして6月末から7月にかけては、移籍前に長野でお世話になった飲食店に行き、最後の食事を楽しみました。




お寿司やお刺身、鱈の西京焼きだったりベーグルだったり、美味しい物もいーっぱい食べれました。


この6月で、さらに長野愛が増しました



6月は別れの月でした。



ほんと、寂しかったです



7月



7月は…




ちょーっと長くなりすぎたので、二つに分けます!





7月〜12月は次の記事に書きます。



本当に超個人的なことなので、見たい人だけぜひ見てくださいお願いします!



それでは次へ!

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