誰もひとりでは生きていけない 親なき後をつなぐバトン 〜 Interview.004
インタビュー第4回目は、いぶきの相談支援専門員の山中真紀さん。
相談支援専門員というのは、障害のある方がサービスを利用するにあたり、適切な支援が受けられるように相談を受けサポートする専門員です。
山中さんがいぶきと出会ったのは1995年、いぶきが発足した年のこと。ご主人の転勤で一時岐阜を離れたこともありましたが、再び岐阜に戻ってからもずっといぶきの職員 として従事してきました。いぶきの仲間ひとりひとりの環境をよく知る山中さんから、親なき後への思いを語っていただきます。
聴き手・文:篠田花子(ヒトノネ)
一緒になって悩む機会が増えてきた
いぶきのなかまと出会ってから、長い人だと20年以上の付き合いになりました。20代だった方が40代になり、その親も高齢になってきたため、ここ最近は特にバタバタと親の調子が悪くなって子どもと一緒に暮らせなくなる方が増えてきました。健康診断にも行かず、気づいた時にはもう手遅れの病状でやむ無く入院……「ちょっと入院しないといけなくなったから、子どものことを見てくれるかね」と携帯に電話をもらい、そのまま帰らぬ人となってしまったこともありました。その仲間は長く通っている人だったので職員もよく知っていて 、運良く空きがでたグループホームで受け入れることができたけれど、「ピンチ!」となって切り抜けられるかどうか、その時になってみないと分からない。どうしようね…って一緒になって悩む機会も増えてきたし、「助けてほしい」という訴えに「絶対に大丈夫」と言えない辛さがあるのが今の現実です。
辛いけど、一緒に考える
エンディングノートを書くことは、親にとっては辛い気持ちになることもあるんです 。一度一緒にやってみた大野さん(Interview.002)は、自分が亡くなった後に息子さんが一人になってしまうことを思うと胸が詰まるし、過去のことを思うと筆が進まなくて苦しいと仰っていました。それでも、書いてもらったノートを見ながら一緒に語って、親の思いを知っておくことができて良かったと思います。親亡き後に少しでも親の気持ちに寄り添った支援を行うことができると思うからです。ノートがあることで普段だと聞きづらいことや身内のこと、過去にあったことなど、聞きやすくなります。支援者に話しておくことで親さんも心が楽になることもあるんじゃないかと思います。親なき後の問題は答えが見つからない問題に突き当たることがよくあります。たとえば、兄弟がいない人は誰に大事な意思決定を託したらいいか、身内といっても相応しい人がいない場合はどうするか、医療的ケアが必要な人はどう対応するか…。まだいろいろな人に相談しているところです。
仲間本人にとっては唯一無二の親。特にお母さんの存在はとても大きいです。親が安心できていないと、子どもも安心して過ごせない。そんなお母さん以上に本人を支えられる人はいないと分かっているから、いつかどこかに手を借りないといけないならば、今エンディングノートを書いて、少しでもこれからのことを一緒に考えるきっかけにできればいいなと思います。
ひとりの力で助けられないからこそ
たとえば障害がなくても引きこもりの状態で困っている家庭があり、その方たちも親なき後の問題はやってくるはずです。そういう意味では、行政や福祉、医療などと繋がっていない中途半端な状態が実は一番辛い。障害があるなしにかかわらず、生きづらさを抱える人たちや支援を必要とする人たちがいる限り、親亡き後の問題は今社会全体で考えないといけないことだと思うんです。大切なのは「繋がっていること」。相談できる人、自分の存在を知ってくれる人と繋がっていて、お互いのことを気にしあえる間柄があれば、ピンチの時になんとかなる可能性も高くなるんですね。誰もひとりでは生きていけないし、ひとりの力でも助けられない。だから繋がりをもち、助け合える地域を作っていくことが、今私たちのできることじゃないかなと思っています。
語り手プロフィール:1995年いぶきに入職。相談支援専門員として、いぶきの利用者や地域の障害のある人の 相談を受け持つ。夫の転勤で一時岐阜から離れ、戻ったときに仲間の親から「真紀ちゃん帰ってきとるみたいやけど、何やっとんの?なんで働かんの?」と請われるほど、仲間と親からの信頼は厚い。
ご寄付はこちらから【外部サイト:ふるさとチョイス】
https://www.furusato-tax.jp/gcf/1423
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?