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おやごころ ~ episode013 ~

百花(ももか)が誕生したのは、2001年2月20日。
妻が出産する時、わたしも立合いました。その時、何か上の二人の娘とは表情が少し違うなと感じましたが、特別心配することなく、妻と百花が産婦人科を無事退院するのを楽しみにしていました。

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出産翌日、私の仕事場に妻から何か心配気な声で、「子どものことで話したいので、今日仕事帰りに産婦人科へ寄ってほしい」と電話が掛かってきました。「どうしたの?」と尋ねると、「ダウン症かもしれない」と言われました。突然のことで、私は妻にどう答えて良いか分かりませんでした。私たちは、百花の誕生の喜びと同時に、大きな不安に包まれたのを覚えています。

産婦人科を退院後、母乳の摂取量が少なく健康状態が思わしくなかったため、当時の県立岐阜病院(現岐阜県総合医療センター)へ1ヶ月ほど入院しました。百花が誕生してから退院するまでの間、私は今までの人生で、一番いろいろなことを考え、学んだような気がします。

退院後、担当医から正式にダウン症であると知らされました。私たち夫婦の覚悟は決まっていましたので、百花と長女・次女3人の子どもを幸せにするために頑張るんだという気持ちをさらに固めました。

余談ですが、この時から毎朝地元の神社に三人の娘の幸せを祈願に行くようになり20年間継続中です。

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小学生のころから高校を卒業するまでIgA腎症のためずっと通院していた百花。誕生した時から現在まで、色々なことで自分自身と闘ってきたと思いますが、いつでも笑顔で周囲を癒やしてくれます。わたしも、気持ちが落ち込んでいても、百花の笑顔を見るとほっとします。百花は自分のことよりも家族の幸せを一番に願っているような気がします。

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百花がいぶきさんにお世話になることができて3年目です。今年、成人を祝う会を開催していただき百花の晴れ姿を見ることができて、涙が出そうになりました。毎日いぶきさんに通い、おいしいお弁当を食べ、働き、仲間の皆さんと交流して充実した生活をおくり、家族がいつまでも明るく過ごすことができれば幸せです。

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また百花が誕生してから、百花の将来と家族のために苦労してきている妻の努力がなければ、現在の安田家はなかったと思います。
最後になりますが、今後もいぶきさんで多くを学び、体験し未来に向かっていってほしいと思います。

これは、いぶきファミリーが2021年発行した通信「夢よもっとひろがれ」vol.208に百花さんのお父さんが寄せてくれた記事を再編したものです。
家族がお互いの幸福せを笑顔でねがいながら未来へと向かっていけるように、「親なき後」に向き合っていきたいと思います。

ご寄付はこちらから【外部サイト:ふるさとチョイス】
https://www.furusato-tax.jp/gcf/1423
クラウドファンディングの取り組みも残すところあと27日となりました。このプロジェクトの目標のひとつは、300名の方とのつながりを生み「親なき後問題」を伝えることです。みなさまよろしくお願いいたします。


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