誰もひとりでは生きていけない 親なき後をつなぐバトン 〜 Interview.005
インタビュー第5回目は、専務理事の北川雄史さんです。
いぶきを語るにはこの人の存在は欠かせないと誰もが口を揃える人物で
今のいぶきを牽引し、築き上げてきた方。
ただし“築き上げた”なんていう言葉を添えたら北川さんはきっと「いや、まだこれから」とすぐに返すでしょう。
10年先、20年先の地域の福祉を常に考え、仕掛けつづける北川さんから
いぶきが今なぜこの親なき後の問題に取り組むのか、少し時間をかけて語っていただきました。
「今回はね、ちょっと難しく深刻な問題なんですよ」という言葉からはじまります。
聴き手・文:篠田花子(ヒトノネ)
実は解決しない問題
今回のこのエンディングノートプロジェクトは、親なき後の問題を直接的に解決することに実は結びつかないんですね。エンディングノートを書いたからといって、親なき後のセーフティネットができるわけじゃないし、困ったときに全ての人がグループホームへ入れるようになるかといったら、それも現実的じゃない。
ただ前回インタビューで森が話したように、もう目を背けられなくなってきた問題で、僕らも答えを持っているわけじゃないけど、解決策が示せない故に声をあげないのはやっぱりダメだなと思い至ったわけです。少なくとも自分たちが抱えている危機感を地域社会でも一緒に考えてほしい、と言わなきゃならないと。それで、このプロジェクトを始めました。
風雲児? いや、手を抜くのが嫌いなだけ
第二いぶきにはじめて重症心身障害児(者)通園事業B型を併設したのが2000年。当時は岐阜市域に医療的ケアや重度重複障害のある方が通える事業所ががとても少なくて、さまざまな方とつながりながら地域の医療的ケアの地盤を築きました。僕たちは福祉の観点から医療的ケアが必要な方々を受け入れ、居場所を作ることに専念。生きることと死ぬことの間際で、命にきちんと向き合いたいというのが僕の根っこにはあって、 “生きる、死ぬ”だけじゃなくて、どうやったら彼らの生活や仕事の中でひとりの人間として、かけがえのない存在として豊かに暮らしていけるのかをずっと考え取り組んできました。
2003年に障害福祉制度が大きく変わり、2005年に障害者自立支援法が成立。福祉が「サービス」と位置付けられ、応益負担という名の下で自己負担が発生するしくみに変わりました。所得に応じた減免はありましたが、障害を自己責任とする考え方にとまどいと憤りを感じたとともに、このままでは仲間の暮らしや職員の雇用も守れなくなると危機感を感じました。仲間の生活に必要な収益を得られる仕事を生み出し、支援を集めたい。そのために僕たちは、支援のネットワークをひろげ、仲間の仕事を磨き上げていくことにしました。目的を達するためのアイデアはどれだけでも湧いてきました。招き猫のマドレーヌのような商品開発や地元企業やFC岐阜との協働など、業界では少し目新しいことにも挑戦しました。いぶきの営み全体をブランディングし、ひとつのモデルをつくる。それが地域社会に伝播して変わっていく。とんがらないと社会は変わらないと信じて貫いてきたところがあります。
希望の灯りとなりつづけるために
こうして着実に階段をみんなで登っていくうちに、制度も組織も少しずつ整い、法人としての体力と機動力がついていきました。そして今度はグループホームのパストラルを作りました。
「みんなが羨ましがるようなホームを作ろうよ」
そんな風景を一緒に描いて掲げた目標のもと、みんなで動きました。
こんなに贅沢な施設がいるのか、という批判も少なからずあったけれど、僕は仲間たちが素敵な家で暮らすことにこだわりたかった。障害者だからって、それなりの幸せじゃ嫌で、人に自慢できるような綺麗なところに暮らして自慢してほしい。みんなで美味しいものをたべて、楽しく暮らすのを当たり前にしたい。いぶきは、仲間の日常にある心の機微を大切にしてきたし、いぶきに行きたいね、ってみんなで同じ夢をみてくれるのが僕らにとっても幸せです。
昨年、第二いぶきで開いた成人を祝う会で、ある仲間のお母さんがスピーチしてくれました。生まれたばかりの娘さんがダウン症だと病院で診断された帰り道、第二いぶきをみて、「ここに入りたい」って心に願った。そして、特別支援学校高等部を卒業したあと第二いぶきに入れたとき「やっと入れたね!」って家族みんなで喜んだ、と。それを聞いたとき、僕は心底いぶきがここまで歩みつづけた意味を感じました。僕らは、仲間やその家族の灯であり続けられた。障害があるからといろんなことを諦めるのではなくて、仲間にも親にも、いぶきが憧れであり、誇りに思ってもらえることが僕らの存在意義だ、と。僕はよく“ロマンティストだ”って言われるんですけどね。でもね、やっぱり未来に道がつながっていると信じられるから、人は生きているんです。未来の夢を語り合って、それを信じて動き、社会を変えていく。福祉って、本来そういうもんじゃないのかなっと思っています。
ちょっと遅くなったけど、ちゃんと開くから
今から思うと思い上がりなんですが、10年くらい前までは、地域の障害福祉の問題をいぶきが丸抱えして「僕たちがなんとかするんだ」と気負ってきたところがありました。実際に、親さんたちにも「いぶきがなんとかしてくれる」と頼りにしてもらってきたし、「どんな障害のある人も、安心してゆたかに暮らせる地域を作る」という理念をもって組織も事業もそれなりの規模に育ってきました。しかし一方で、「いぶきがなんとかするよ」から脱却しないと持続可能ではないと考えるようにもなりました。2000年代前半は特に福祉にとって激動の時代、だからこそ強いリーダーシップが必要でしたが、これからはメンバーシップで推進していく必要がある。「北川さんよろしくね」と言われても、いつか僕もいなくなるし、託す先は僕じゃない。未来に託さないといけないのだから、これからは一緒に向き合っていきたいんです。いろんな人たちが“自分で考える”、“地域で考える”を実践できるような社会にしていかないと、僕たちだけでと考えていては無責任だと思ったんですよね。いぶきに関わっている人たちだけでなく、今見えていないけれど苦しんでいる人も必ずいる。特に親なき後の問題を語るのは、誰かがやらなきゃいけないと分かっていたことでした。今ありがたいことに、いぶきは大変だけれど法人としての環境は整っていて。だから、そこに手をつけないわけにはいかないなという責任と、「やろうよ」っていい出せたことにホッとした自分もいます。
「ごめん、ちょっと遅くなったけど、今からでももっと社会に向けて開くから」っていう気持ちで、親なき後の問題に向き合っています。
語り手プロフィール|北川雄史さん
京都市生まれ、神戸育ち。筑波大学で心理学を学んだあと、大日本印刷株式会社を経て1997年にいぶきに入職。第二いぶきの立ち上げや、「ねこの約束・招き猫マドレーヌ」のブランド開発など、仲間の仕事づくりと地域社会へのネットワークづくりで今のいぶきを育ててきた。
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