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還暦過ぎて感じる 人の幸せって難しい

生きていく上で大切なことは、外側の世界を良くしようとすることではなくて自分の内面を穏やかに保つことなのではないだろうか。
仕事の上での成功(いい会社に入るとか、お金をたくさん稼ぐとか)、地位や名誉、夢をかなえるとか、立身出世、ひとかどの人物になる、それが幸せでそれが生きる目的だと刷り込まれすぎてはいないか。
世界はいつのころからそのようなプレッシャーをかけてくるようになったのか。
民主主義、自由平等、職業の自由、自由恋愛、お金持ちと貧乏人、社長と平社員、努力次第でなんにでもなれる。頑張れば社長になれる。頑張れば東大にでも合格できる。皆、薄々「そんなことはないだろう」本音のところでは感じている。
東大目指して長時間勉強を頑張れたり、生まれつき記憶力が良く大して勉強しなくてもテストの点数が良い人もいる。
テストの点数が良くて東大に合格できる人が価値がある、偉いという価値観を社会の多くの人が持っているのではないか。
東大を出て電通やNHKに就職した人は成功者だとか。自由な社会で何でも目指せて頑張れば何でもできる平等な社会という風潮は子供や若者にすごいプレッシャーを与えているのではないだろうか。
成績が上がらないのは勉強が足りないから、サッカー選手になれないのは練習が足りないから。
頑張って夢をかなえるのは最高に価値あること。

本当か?

そもそも小学生に将来何になりたいか聞くのが間違っていないか。
夢を持てということそのものがプレッシャーになる。アイドルとかサッカー選手とかYOUTUBERになるとか、そのような夢を持つことそのものが不健全ではないか。
夢はなくとも、何にも頑張っていなくても、頭がよくなくても、足が速くなくても、人様にご迷惑を掛けず、一人で生きていけたら、それだけで十分なのではないだろうか。
自分は夢がないとか、なんの取り柄もないとかいった劣等感を持たされるのは不幸なことだ。

人生60年、会社勤めも40年近くやってきて思うこと

・夢があることは必ずしも良いこととは言えない
・夢に向かって努力してもいいけど「無理」してはいけない
・その人の個性にマッチしたことを楽しんでやった先に結果がついてくる
・外側の成功は必ずしもその人の幸せとは関係ない
・内面の穏やかさは幸せと直結している


なので
・子供に無理やり勉強させようとするのは無駄
・できる子は自らやる、それも楽しんで
・無理やり勉強させて良い学校に進学できても、幸せになれるとは限らない
・偏差値が少しでも高い学校に入るために死に物狂いで努力するのは得られるメリットに対して苦労が過大ぎる

ということで、うちの息子二人は学校の成績は下から数えた方が早い位だが、それなりに幸せそうに生きている。

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