有機的鉄塔
あの町は異様だった。
随分と長い間、現地民が運転するジープでサバンナとも砂漠ともとれる荒野をやたらと長い時間走って、もう体もグッタリして、その乗り心地の悪いジープの中ですら眠れそうな程、疲れていた時だった。
なんだか、運転手と通訳が、やたらと早口で荒がった口調で、会話を始めた。
言葉が分からない私には、口喧嘩の様にも見えなくもない二人のやりとりだが、恐らく、何らかの危険が迫っているとか、予想外の出来事に出会したりだとか、そんな辺りの事だろう。
通訳がいうには、運転手が「この先の町は悪魔が通っていったから、立ち入りたくない」と言い始めたそうで、何処までなら車を走らせてくれるのか、交渉していたのだとの事だった。
悪魔。
私が、この大陸に来た理由ではなかったものの、今は専ら、私の関心事である。
貧しさが生み出した悪魔。社会の摩擦を具現化した悪魔。利用される事を拒み、戦う事を決めた悪魔。
私は彼らについて知りたかった。
数年前まで、紛争地帯だったこの地域は、飢えと貧困に苦しみ、殆ど列強国から見ればテロリストと区別が付かない、寧ろ、意図的に同類と看做された宗教的武装組織が乱立して抗争していた。
先進諸国の関心が薄れ、いずれかの武装組織が実力行使で暫定政府を下し、政権を奪取するものだと思われていたが、実際、そうはならなかった。
武装組織は暫定政府でも先進諸国の連合軍でもなく、悪魔によって、掃討された。
私は、この悪魔も、きっと武装組織の一つであろうと想っていたし、結局は政治的にも不安定で、貧困に喘ぎ、紛争の傷跡が残る地域に、ジャーナリストとして訪れていた。
現地に着いて、暫くしてから、その思い込みを続けるには、あまりにも多くの違和感を得た。
暫定政府に雇われた警官達は綺麗な制服に身を包み、スーツを着込んだ外国人ビジネスマンもいる、何処にでもある「新興国の首都」という雰囲気の空港付近から少し離れてみると、ただただ閑散とした空気感と、多くの貧困民がいる、といった風景が広がっていた。
本来であれば、暴動が起きそうな程の貧困が広がっている中、それでも人々は生活に勤しんでいた。
この地域には寧ろ、武装集団だけが足りないような気がした。
取材を続けると、多くの地元民が口にする言葉にフォーカスを当てざるを得なくなった。
「悪魔が来るまで生きるだけ」
初めは、この地域の言い伝えや、民族的な表現や思想から出てくる言葉だと想っていた。
実際には違った。
悪魔は実在する。
そして、悪魔は宗教的でも軍事的でも無い。
ただ、この地域に実在する何かである、と。
今、私は、その通り道に触れようとしていた。
運転手は早く引き返したい気持ちが焦りのような表情の中に溢れ出ていて、私は通訳を通じて、運転の継続を続けていたが、とあるものが道に現れた時、運転手は車を停めた。
正座をした黒焦げの死体。
全く水分を感じないミイラのような死体が道に点々と座っていた。
私は通訳を連れて、運転手を解放した。
彼に謝礼を渡したが、運転手は、それを受け取らなくても、私達から離れて行くのではないか、と思う程、早く車を翻して去っていった。
砂埃。
と
黒焦げの正座をしたミイラ。
それだけが続く道を歩いた。
私は通訳の男の事を不思議に思った。
何故、この男は私に同行してくれるのか。
コワイモノ知らずなのか、私が相場より高いギャランティを約束したからか…
そんな事を考えながら、数十分歩いた。
ずっと続く、黒焦げのミイラの点在は途切れる事なく、まるで道しるべの様に町の入り口まで続いた。
町にはゲートが在った。私が行った時には既に粉々になっていて、その壁の在った処に黒焦げのミイラが今までと同じように正座をして列を成して座っていた。
何十人のミイラからなる町の入り口。
人は黒焦げになると、ここまで無個性なモノになるのだ、と思い、まるで作り物の様な死体のゲートを通って町に入った。
誰もいない、と言えば誰もいない町。
ただ、いるのは黒焦げの正座をしたミイラ達。
この町には、それなりの人口が在った事を、私はミイラ達の数から知った。
喉が渇いていた。
ずっと前から喉が渇いていた。
ただ、その欲求を叶えたい気持ちが湧いてこなかった。
黒焦げのミイラ達からはゴムの焦げた様な匂いと石油の匂いが立ち昇って、周囲に充満していた。
この町を抜けるまで、例え、三つ星シェフのフルコースが出されたとしても、私は決して食事を摂る事は出来なかっただろう、が、人は水を呑まずには長時間活動する事は出来ない。
通訳の男は、この町に国際援助で建てられた井戸と給水場がある事を教えてくれた。
町の中を歩く。
井戸を目指して。
視界には断続的でありながら、常に黒焦げの正座死体が目に入る。
井戸に着いた時、私は初めて、黒焦げミイラでは無い人を見た。
国際的な人道支援組織の旗が掲げられた給水塔。
その鉄骨部に有刺鉄線で括り付けられた生のままの人。
生なだけで命はとうの昔に肉体から離れた残骸。
折り重なって縛り付けられた人々の亡骸。
給水場の下は血溜まりになっていて、歩いて行くと、くるぶしまで、土と血の混合した液体に足が沈み込む。
蛇口まで辿り着いて捻る。
綺麗な透明な水が出て、少しだけ血溜まりの濃度を下げるが透明感を得るには一体どれだけの時間がかかるのだろう。
私は水を手で掬って飲んだ。
水を飲み終えて、改めて、目の前の異様な光景を足元から見る。
肉で囲まれた、まるで肉そのもので出来ているかの様な給水塔に穢れを知らないように、血しぶき一滴着いていないユニセフの旗。
写真を撮るように、通訳の男に促され、私は給水塔の写真を撮り始めた。
殆ど、壊されていない町に点在する黒焦げの正座死体の写真も、撮った。
また喉が渇いても、あの血溜まりを進んで水を飲む事はなかった。
足元の血はだんだん乾燥して、土埃を纏いながら、その生臭さを徐々に失っていった。
〜後日〜
私はまた、あの地域の空港に居た。
私の書いた記事は、高値で出版社に買い取られ、この先数ヶ月かけて、連載されていくそうだ。
私は気になる事があった。
「悪魔が通った町」には誰も居なかった。
沢山の死体だけの町。
混乱の中で殺害された人々、というには、あまりにもパターン化された亡骸達。
そして、破壊のあまりの少なさ。
それに、あの通訳の男。
私は通訳の男と空港で待ち合わせていた。
彼は高級な日本車に白人の運転手をつけて、私をロータリーで拾った。
後部座席で彼と改めて会い、私は少しばかり、緊張していた。
それは黒焦げの死体や肉で出来た鉄塔を見た時の緊張感よりも少しばかり強い程度の緊張だった。
彼と初めてあったのはオンライン通話だった。
彼との前回の旅の時、彼は一般の現地人の様な身嗜みだった。
今は随分とラグジュアリーで、少しばかり、何か、マフィアの様な、そんな存在なのではないか、という気さえしていた。
会話は彼から口を開いた。
「あなたの聞きたい事は、ある程度わかります。私と、あの町の事でしょう?」
そうだ。勿論、あの町の死体の異様さ、一様な死体の姿勢、破壊の少なさ、それにあの給水塔について。
そして、その中を案内してくれた彼自身に対しての違和感について私は怯えながらも、尋ねたかった。
「はい。悪魔は一体何者なんですか?」
私は聞きたい事を聞かなかった。
聞きたい事が聞けそうな質問、出来るだけ直接的な質問を避けた質問を口にした。
「悪魔は人の心の中にいるモノです。西洋でも東洋でも、そういうモノでしょう。」
違う。そうじゃない。
私が知りたいのは、この地域の悪魔、あの惨状を作った人々の事だ。
「悪魔は何も目的としていません。ただ、滅ぼすだけです。この国に不必要なモノ、例えば、野蛮な軍事政権を打ち立てようとする輩とか、地獄に落ちるべき人々を、そこへ誘うだけです。」
彼は続けて言った。
違う。彼らはテロリストか、何かのオカルト的な集団なのか、そもそも、どうやって、ある意味、あれだけの「綺麗な惨劇」を作り出したのか…
「悪魔は地獄の担当で、この国の地獄にふさわしいモノを地獄に届けます。テロリストも武装集団も、貧民も汚職もです。」
ちょっと待ってくれ。
私が見た町は貧しかったから、襲われたのか?納得がいかない。言葉が出てこない…
「この国は、これから成長します。まるで、この大陸に許された一つの天国の様に。地獄にふさわしいモノは全て、地獄に届けられますから」
浄化のつもりか?少しばかり恐怖の中に怒りを覚えた。
目の前の男に対しての怒りなのか、それとも、悪魔に対する怒りなのか、私はまだ混乱していた。
「私の役割は語り部を導く事です。悪魔は地獄に相応しいモノを全て地獄に連れていく。だから、地獄の案内人が必要なのです。悪魔は人の心にいるべきモノですから」
私は地獄の案内人だったのか…。目の前の男は私の文字通りのガイドで、私を地獄へ案内した。皆殺しの後、その「皆殺し」を地獄の外へ持ち出す為の…
「あなたには感謝しています。悪魔は悪魔的でなければなりません。あなたが世界に発信してくれた肉の給水塔は悪魔の中でも初めての試みでした。」
「どういう事ですか?」
今回の取材で私が初めて聞き返した言葉。
私はもはやジャーナリストではなく、怯えたただの部外者でしか無くなっていた。
「悪魔が悪魔的である為には人々の心の中にいる必要があります。そうでなくては、悪魔は悪魔として活動出来ず、人々と争わなければならないのです。悪魔は悪魔である事によって、人々を絶望をもって絶望から救い、そして終焉に導くのです」
この後の話は、ボイスレコーダーに数十分収めた。
あの血溜まりの感触と肉の塔の匂いが思い返しながら、彼の話に聞き入っていた。
この話を私が記事にしたのは、3年の月日が経った、あの国の陸上選手が初めてオリンピックでメダルを取って、あの通訳の男によく似た政治家が大統領に立候補した夏だった。
ここから先は
¥ 300
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?