太陽の鉛筆
東松照明の「太陽の鉛筆」にこんな記述がある。
宮古の人はひもじくないか、さびしくないかと問う言葉が日常的にあったという。
ひもじくないか、は支え合わなければ生きていけなかった島びとの生活をあらわす。さびしくないか、は宮古はさびしいところだからもっと人と混ざり合って楽しく過ごしなさいという教えだ。
私はひもじくともさびしくとも、和敬清寂――和を尊び他を敬い清め寂に浸る、を心に据えておければと思う。
東松照明の「太陽の鉛筆」にこんな記述がある。
宮古の人はひもじくないか、さびしくないかと問う言葉が日常的にあったという。
ひもじくないか、は支え合わなければ生きていけなかった島びとの生活をあらわす。さびしくないか、は宮古はさびしいところだからもっと人と混ざり合って楽しく過ごしなさいという教えだ。
私はひもじくともさびしくとも、和敬清寂――和を尊び他を敬い清め寂に浸る、を心に据えておければと思う。