IBASYO.base宣言
僕たちは資本主義に対して危機感を持っている。
資本主義によって合理化に行き過ぎた社会の息苦しさに気付いている。
偏差値による頭の良し悪しや収入の多さなんてだけで人をみるなんてのは間違っている。
機械のような人間になってはいけない。
量産される工場製品ではいけない。
くだらない間違いをたまに犯すような少しだけ不格好な人間でいいのだ。
だから、僕たちは主張したい。
誇れる自分の価値を持ってほしい。
飯も忘れて没頭できるなにかを見つけてほしい。
誰かと共有する同じ価値を語り合ったり、全く別の誰かと互いが持つ素敵な価値を伝えあったりしてほしい。
そんなことを自由にできる人が増えることがこれからの社会をよりよくしていくのだと僕たちは信じている。
大人は、「遊んでる暇があったら、勉強しなさい!」なんていうけれど、僕たちはそうは思わない
遊んで、遊んで、学べばいい。
でも勘違いしないでほしいのは、学校教育を軽視しているわけじゃない。
社会学者、見田宗助は、
と彼の著書で述べている。
はじめに、僕たちは、資本主義に危機感を抱いていると言った。
でもそれは、資本主義が悪だとか社会主義が正義だとかそんなことが言いたいわけじゃない。
資本主義は、人類が一歩でも幸福になるように、より多くの人間が真っ当に生きられるように願って創りあげれた社会のシステムなのだと思う。
僕たちは資本主義の恩恵を日々受けているし、このシステムを創りあげた先人たちには敬意を払っている。
でも、資本主義は常にbetterであってもbestではない。
僕たちが気づいたbestではないことの一つは、資本主義は一人歩きすると人間らしい生き方が失われることがあるってこと。
学校の教育の中でテストの点数や偏差値が過度に重視され、学歴が重視される社会ではなく、自分が大切にしている価値を社会で存分に発揮することが許される社会になるべきだ。
今、学校で教えていることに加え、自分が夢中になっていることを伸ばせる場所が必要だ。
でも均一を求める現代教育の中ではそれが困難なことであることも知っている。
学校教育が提供する高度な知識は、自己実現への大きくて、強い土台になる。
だからこそ、僕たちが学校以外の場所に自己実現を支えられるような場所をつくろうと思った。
普段関わらない大人や大学生、別の学校の子、そんないろんな価値観に触れられるような場所を。
閉鎖された学校でもなく、家でもない第三の場所を。
IBASYO.baseをつくるにあたって、メンバーと話して作りあげた理念をIBASYO.base宣言としてここに記しました。
メンバーと深夜にどんな社会を目指すのか、どう貢献できるのかなどなど話して紡いだ言葉です。
なぜ、「理念」ではなく、「宣言」という言葉を使ったかといえば、
僕(代表)が多大な影響を受けた雑誌「新百姓」の新百姓宣言に倣った(パクった)からです。
「つくる喜び」を最も大切にするCreativitism(創造性主義)を提唱する新百姓宣言もぜひ読んでみてください。