超緊急:打って即投稿簡易版、シャニマス「三文ノワール」黛冬優子
シャニマスーーーーーっお前ーーーーっ!!!!!!!!!
…………好きです……………………
という訳で明日も仕事なのに0:30から書き始めています。
ほぼ感想ですが時間がないので端折ります、アンド、深いことは詳しい人に任せます……というのは、私が映画詳しくない&私のnoteの傾向として、新情報としてお出しするよりも、基本的な内容のまとめって需要あるんだ!というのを感じているので、難しい考察は他の人に任せて私は基礎をやるぞ~。
※ネタバレ注意!……といっても超緊急:打って即出し簡易版です。
なんでこんなに狂ってるのか
どう考えたってシャニソンリリースにぶつけてきた最大級の皮肉と自己矛盾を抱えたenzaシャニマスライター&運営の挑戦状だからだよ!!!!
……というのはなに?ってことなんですが、コミュ全体を通して描かれるのは
ムゲン×セツナ
ですよね、ライブかよ。でも今回によりかわい~ふゆとしての歌も歌ったムゲンビートの見方も変わっちゃうよなぁ!?とまぁちょっと狙いましたので簡単に言います、「刹那的なアイドルと永遠のムービースター」の対比です。最初のコミュではそのアイドルという職業の抱く刹那性をモブの会話で表しています。
ここの会話はアイドル業という刹那性と永遠になるんだというモブ監督の対比の為、でもありますが、端的に言えば新しいものに現を抜かし一度は愛したものを手放す人間への痛切な批判も含んでるわけです。
まさに新しいゲーム、シャニソンをだしたばかりの立場でです。
我々はそれに対してどこか後ろ暗い気持ちもある、ただそれを一方的に攻めるという訳ではないのはバランス感覚がいいですよね。
必要な伏線を敷きながらも、じわりと芸が光るのは、どこか心が乱れる話題で口論にもなって紅茶が冷めたモブがいる一方、シャニPと冬優子は未来の話をして紅茶を冷まして、かつそれを温め直す選択肢があるという対比もありましたね。
アイドル÷黛冬優子=
みなさんはこの答えをどう応えるでしょう?そもそも文章が上の題になっているんですが、黛冬優子と書いて「ふゆ」と読むの激熱じゃないですか?
このシーンでは冬優子は別の選択肢を示され、そのことをシャニPには告げず、けれどもシャニPは何か雰囲気の違いを察しているような描写です。仕事ができる男だな。その場面で示された数式、どう読み取れるでしょうか。
シンプルに考えましょう、ベースは黛冬優子です、それをアイドルで割る。これの答えが1だとしましょう、黛冬優子は過不足なく100%アイドルであるとして、では、アイドルでなくなった黛冬優子は?そういう疑問からの発言であることが分かります。
女優としての道、もしかして黛冬優子にとって、アイドルと言うのは物凄く小さな数字なのかもしれない。そういった期待と危惧が混じります。
(ここで開いていた泥酔合同の酔った勢いで書いたギャグ原稿が開きっぱなしになっていたのを閉じました)
カメラの中
「あんたもカメラの中、入っちゃえばいいのに」ここの表情が印象的ですよね。当然シャニPが否定したように、エキストラとしての出演を勧めた訳ではなく、この話におけるカメラの中ってどういう意味だろう?ってところですが、表層的にはシンプルに「永遠」ですよね。
つまり私と一緒に永遠になってしまえばいいのに、という冬優子のぼやきだった訳です。
少し今回のカードとは離れますが、冬優子ってちゃんとアイドルの刹那性を理解してアイドルをやっている。それはアイドルの引退を含めたモブ男女が喋っていた最初のコミュでの会話でも表現されていますが、アジェンダ283の廃棄CDや、ストレイライトの始まりでも「馬鹿馬鹿しい世界」であると言及しています。いつかは終わる、それは冬優子が変わることによる可能性もありますが、当然シャニPが原因で永遠が崩れる道もある。そう分かっていつつも永遠を願ってしまう。ここさり気なく痛切な批判をまた含んでます。当たり前ですね、なぜかってキャラクタは永遠の存在だからです。シャニマスの中に確かに存在している永遠を崩すのはシャニP、俺たちに他ならない。うわ~~~~~~(発狂)ありがとうこんな包丁突きつけてくれて、シャニマスいいぞ~尖れ~~~。
三文劇
もういう必要もないくらいあからさますぎますけどちゃんと触れます!
まず、冬優子が演じたのはユウコ、優子はつまり冬優子からふゆを引いたもの、監督にとってはアイドルじゃなくなっていく冬優子の象徴とも言えるでしょう。
次に、冬優子に永遠を提案する技師、技師は冬優子をそのまま永遠にすることは不可能であると認めつつ、義体という形なら永遠を提供できると言います。それはつまり映画の中なら永遠でいられるという理念を抱いている監督。
そして、町医者、死にゆくユウコに寄り添いながら生きながらえさせることは出来ても、ユウコの死は防げない彼は、我々にはシャニPに見える。
……………………………………………………随分なNTR映画見せつけられてるな俺たち!?
冬優子が選ばなかった未来を、ハッピーエンドとして描いている映画、それを褒めるシャニPに冬優子は問いかけます、内容は本当に素晴らしいのか?
基本的な意味はこうでしょう、けれども同時に我々はスクリーンに映る映画を眺めるように画面を眺めてシャニマスを見ています。そしてシャニマスもまた、どう足掻いても永遠に飽きられないなんてこともないし、その特性上バッドエンドは描けないという制約を受けている。(バッドエンドが高尚だと言いたい訳ではないです)必ずハッピーエンドで終わる、三文劇だという自虐も含んでいるんだと思います。けれどもそれでも人の心は打つものです。
愛すべき古典よ、ノワール映画よ
冒頭に映画に詳しくないと申し上げました、実際、古典映画は全然見れていません、それは詳しくない私の未熟な判断基準では新しく生まれる映画の方が劇的で刺激が強く面白いと思うからです。
映画に関わらず古典というものはとんでもなく面白いからこそ残り続けているものではありますが、それはそれとして、ものによっては非情に退屈です。当時は最新でも今となっては陳腐だったり、ザラザラとした荒い音声やぼやけた当時のカメラの映像を眺めていると、退屈であくびがでることもあります。
今まさに新しいゲームをリリースしたシャニマスにとって、enza版は古典を名乗る権利を手に入れたことになります。
そしてあえて自ら三文劇を名乗り、永遠を否定しつつも、永遠に惹かれ永遠を諦めない姿を描く(ヒカリと夜の音楽、またはクロノスタシス!?)し、同時に永遠を否定して未来に進むということを肯定的にも描いている訳です。
くぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~良い
ということで急いで打った、明日も仕事だよ!!!!!健康に気を付けてね!!!あとSSFの新刊boothで売ってるので買って下さい。めっちゃ百合イチャイチャ小説ですけども。
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