アイドルマスターシャイニーカラーズ「はこぶものたち」感想
本当はデレの沖縄公演両日現地予定で移動のために取った有給でこれを書いています。悲しすぎるね。
話としては難しくないけどどうあがいても難しい話だ……アジェンダ283系列の話だった気がしています。
誰も悪くないけど良いことだけでもなく、単純で難しく、悪い話でいい話だった。
※ネタバレは多少するので注意、まぁシナリオ事前に読まずにこのnoteだけ読んでも、なんのことやら訳が分からないと思う。
何をはこんでいるのか、誰がはこんでいるのか
「はこぶものたち」というタイトルは、運ぶ者たち/運ぶ物たち、どちらともとれる。
注文した商品をデリバリー(運ぶ)する配達員(兄やんも含む)。
アイドルへ仕事を運ぶシャニP。
応援の気持ちを伝える(運ぶ)メッセージやSNS。
サッカーはボールをゴールへ運ぶゲームだし、
ライブ配信は映像を視聴者に運ぶし、
コメントという形で反応は運ばれる。
CMや広告は情報を運び、
芸能人の仕事は話題を運ぶことになる。
監督の檄は勇気を奮い起こし(運び)、
何かを届けようとする者たちは工夫をする、メイクであったり、衣装もその一つ。舞台上のパフォーマンスなんて目に入る全てのものはメッセージであるので勝手に感極まろう。
はこぶもの、それは主体/運び手だったとしても、客体/運ばれる物だったとしても、一つの終着点において交わる、それは「うけとるもの」の存在でだ。
そして、その「うけとるもの」が物事をどう受け取るのか、は、決してはこぶものたちには選べない。 プラスにもマイナスにもなり得る表裏一体の存在だ。
計画通りに荷物が届いて喜ぶ者がいれば、そうはいかずクレーマーになる場合だってある。
必ずいつもいい案件があるわけではないアイドルの仕事、
応援は時にありがたいが、時にプレッシャーにもなり、SNSも諸刃の剣だ。
表現したいものをその通りに受け取ってもらえるとは限らず、
消費経済行動と環境問題というのはいつも背中合わせだがどちらも間違いではない。
お得なキャンペーンに憂鬱になる関係者も居れば、
飛ぶ鳥を落とす勢いの何かには、期待と同時に不安もある。
そして、不安は炎上を運ぶし、炎上は不安を運ぶのだ。
この一連のコミュ内で運ぶ人も運ばれるものも多く登場している、じゃあ主題はどこにあるんだろう、というのは次章に回したい。いやまぁそんなに難しい話ではないのよな
こうやって、コミュ内で出てきた「はこぶものたち」を考えたら、いいようにも悪いようにもとれるものが沢山出てきたと思う。
環境に配慮したアパレルブランド、とか、消費行動と環境問題を同時に語るのは確かに欺瞞とも言えるよなぁと言わざるを得ないが、じゃあめぐるがであった人々が欺瞞に満ちた悪かと言えばそうではないし、コミュ内でシャニPが言及したように、じゃあ考えなくてもいいし考えない方がいいのか?といえば決してそうではなく、深く考え続ける必要のあるものだ。
フードデリバリーの躍進と、そうやって躍進する企業の危うさや脇の甘さみたいなものもとてもよく分かる。でもだからといってコミュ内で出てきた社長が極悪人かと言えばそうではない。
結果的に大成功とはいかなかった仕事も、じゃあそれを決めたシャニPや広告代理店営業が悪い訳ではない。
「輝きをみんなに届けよう」
誰も悪くはないのに、ただただ幸福で終われなかった今回の話において、じゃあどうすればいいんだろう、という解決として最終的に提示された方法がボランティアでの清掃であるのが、どこまでもイルミネらしくてとても好きだ。今まで書き散らしてきたnoteでも何度か同じことを書いているが、イルミネの物語は当たり前のことを丁寧に描いていてとてもよいなぁといつも思う。
都合の良すぎる奇跡は起こらないし、だからといって最悪最低な訳でもない。でも何もない訳ではなく、誰もが何かにぶつかってつまづいているけれど、前へ踏み出すのだ。「頑張る人を応援する」というのは王道で、そして正直ありきたりであるけれども、どこまでもイルミネは”寄り添う”ことをしてくれる。
正しく『輝きをみんなに届けよう』であるし、復刻直後なのでスタンデューから引用するが、『寂しい時には手を伸ばして、その手を掴むから』であるのだ。私たちが悪い/私たちは悪くないで終わらせるのではなくて、あの時は気持ちが寄り添えていなかったとして、もう一度気持ちを寄り添おうとする。なんて良い子たちなんだ……
スタジアムに居並ぶ椅子は、ライブ会場の椅子とも条件が近い。ライブなどの会場を「箱」とも呼ぶ。「はこぶものたち」がひらがななのは、主には”もの”をぼかしたかったのかな?と思っているが、そういう意味ではスタジアムも一つの「箱」だ、誰かが座ってきて誰かが座っていくその場所は、思いが詰められた箱である。動かなくても、そこにやってくる人間は思いを運んで、そして何かしら思いを受け取って、それを運んでいく。
誰かが誰かを応援するために座るその場所で、これまで座ってきた人たち/これから座ってきた人たちへ寄り添う……ん? あれ、この空間記憶概念は「明るい部屋」では……???? ※関係ない
誰かのために、じゃなくて、自分のためにでいいんだ。もっとわがままでいいんだ。でも考え続ける、知ることは大切だ。知って寄り添うことで、応援する気持ちを分かってもらえる。この話……結論だけ出してしまえば、本当になんてこともないことだ。応援ってなんだろう、受け取ってもらうにはどうすればいいんだろう、という問題に”寄り添うこと”を回答としてイルミネが再発見するそんな話だった。
”はこぶものたち”とは「これまでも、これからも、輝きをみんなにはこぶイルミネーションスターズ」の物語なんだなと思う。
シャニマスシナリオ班の視線
さて、ここからは若干脱線になる。
シャニマスのシナリオがとても好きだなと思う中に、ただいい話だけではないのがある。シナリオが含んでいる鋭利な刃物で刺されるのだ、それはオタクとしての自分だったり、民衆としての自分だったり、創作する人間としての自分だったりが抱えている、つまりは誰かしらもがどこかに抱えている問題をだ。ストレートに言うのではなく、そうとは見えない形でえぐりだしてくると感じている。シナリオ内ではそれをどこか優しい形で着地させる。えぐりだされた私は救われないが、シャニマス世界内でアイドルが救われていれば私としてはオールオッケーである。だからさっさとSHHisとルカ救ってくれ。
#283をひろげよう 、のイベントコミュに関して、私は正直「いい話だったしリアルタイムでストーリーとSNS運用を連動させるの面白い取り組みだと思うけれども、話の中で重要になる”この施策が新しいファン増加に直接的に寄与することはないと思うけど……”の下りが、現実にやってる広告効果の言い訳っぽくてちょっとな~」と思ったが、個人の感想だし、もうそれ以上に千雪のSNSの大暴れによっておにぎり恐竜の大繁殖が(私の中で)観測されたのが面白すぎて、まぁそんなことわざわざ言わなくてもいっかと思って言わなかった(結局ここで言ったけど)が、これを受けて若干改めたい。言い訳臭さくらいは狙って書いてそうだ、俺はシャニPを信じきれずに、その後のイベコミュで「余計なことで剣呑になるオタクの姿」を描写され打ちのめされた訳である。私はシャニの掌の上でコサックダンスする哀れなオタクなのだ。
本当に上手いな、と思うし、多分製作陣だってそれが得意である自覚はあるだろうと思う。だからこそ時折、普遍的なテーマだけじゃあなくて、どこまでも現在/現代に寄り添った結果、時に驚くほど皮肉になってしまったりもする。
誰も悪くないのに炎上し、どこか同情的な目線で見られつつもSNSでキナ臭い空気が漂った事実が消えない、なんて、なんて皮肉だろうかと泣き笑いのような感情になってしまいそうだ。思い出せば感光注意報も事務所入所記念の撮り直しなんていうテーマが(こっちに関しては完全に偶然だろうが)ぶち込まれていて、白目剥きそうになってしまった。100%分かっているとはもちろん言わないが、自分たちがどう見られているかの研究くらい、シャニマス公式は十分意識しているだろう。
「それを未来にしていかないと」今回のイベコミュの選択台詞だ。全ての人間が納得するものなんてない、けれども可能な限り寄り添って、理解して、頑張ることで伝わってくれることもある。シャニマスシナリオ班はそれをやっていくぞという表明であり、そして隠したナイフに思えてならない。コミュを受け取る俺たちは民衆で、悪くない誰かの不安をかきたてたファンでもあるのだから。
どうでもいいがなんも知らん謎の「兄やん」に肩入れしすぎる灯織はネットワークビジネスに弱そうだし、素直すぎるめぐるも色々と環境ヤクザとかに騙されそうで、読んでいてとてもハラハラしてしまった、真乃とピーちゃんが頼りである。
あと最近は音声などでの演出もシャニマスくんは頑張っているので、必ず音声が聞ける状態でコミュを見るようにしているのだが、リフティング音であると判明するまでなんやこの音……薪割りでもやってるのか……?と思った。
じんわり嫌な予感するなぁって感じの演出が本当に上手だから、満を持してエイプリルフールとかで高山Pの好きなホラーが来たら本当に嫌なやつ来そうだなぁ。