ひとつの「正解」についての独り言
小さな頃からいつも「正解」でありたかった
きっかけはいつなのか、何なのかも思い出せないけれど、物心ついたときから「正解」は自分の外にあったように思う
自分の感情にすら自信が持てなくて、いつも感じる感情たちに「これは良い」「これはダメ」と無意識のうちにジャッジをしていた
そうしているうちに、自分が発する言葉たちは誰かによって定義された「正しさ」を基に私のようで私でない誰かの意見で埋め尽くされていった気がする
もちろんそうしたくてそうしていたわけではなくて、気がついたらそうなっていたのだけれど
その結果どんどん自分の感情に自信が持てなくなってしまっていつの間にか「自分」が自分でも分からなくなってきた
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先日、ひょんなことから私自身を深堀してもらうという機会をもらった
長い道のりになるよと予告されて始まった初回は想像よりも厳しいもので
自分が隠してきたはずの黒い部分
忘れようと無意識に蓋をしてきた過去
垣間見える自分の嫌な側面
ひとつひとつ見えるようになるたび、辛くて怖くて苦しくて
これ以上続けてしまったら、自分のこと嫌いになってしまう、嫌われるのが怖い、と続ける自信が無くなった
同時に、深堀を通して知った「自分が本当に望んでいること」には大いに納得して、それが自分にとってどんな栄養素となり、何を摂取したいのか気になった
これを繰り返していくうちに、自分で作り上げてしまった殻や鎧が壊されて崩れて、軽くなれるんじゃないか、そんな期待も確かにあった
でも初回の深堀から4日経って、感じていた不安が急に大きくなり夜になって涙が止まらなくなった
自分が自分として生きることすら怖くなって明日なんか来なければ良いのにと思った
心が底まで落ちてしまって、上がることができないまま朝が来た
すごく不思議なタイミングで、朝起きたらスマホがインターネットに接続できなくなっていた
引っ越したばかりの私はスマホがないと徒歩圏内移動しかできない
近所の図書館は休館日でやるべきこともできない
友人やルームメイトにスマホが使えないと連絡をすることも
Wi-Fi環境に移動するためにGoogle mapを起動させることもできない
スマホが無いと本当に何もできないんだとショックよりも諦めに近い感情が生まれた
やることもなければできることもないので、この際だからと大好きな読書にどっぷり浸かってやろうと思って本を開いた
最近買った脳科学と自己愛についての本
2年ほど前に買ったお気に入りのエッセイ
少し前にプレゼントしてもらった愛にまつわる本
この3冊をランダムに読みながら考えた
なんで自分はこうなっちゃったのか
どうしてこんなに不安なのか
どうしたら「皆んなみたい」になれるのか
考えて考えたけど答えなんか出なかった
答えは出なかったけど、答えが出ない理由なら分かった
自分の外に「正解」を探しているから答えは出ない
いつも「正しく」なんてなくていい
みんなにとって「正しく」なんてなれない
深堀で話していた「他の生き方を諦める」
少しだけ分かった気がした
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