20210608 京都東山
こんにちは。旅行5日目、京都1日目です。
ここから11日間京都にいるということで、もちろんいろいろ行きたいところはあるのですが、初日らしい、京都らしいことをなにかしたいなあと思いつつ地図を眺める。1日目から美術館で飛ばしていくのもなんか違うかな、ということで、七条通りを東方面に歩いていくことにしました。ホテルも七条通りに面しています。
朝ごはんはすぐ近くのなか卯で食べる。なか卯は京風うどんだし一応京都の料理だろうと思って食べていましたが、調べてみたら一号店は大阪の茨木でした。ゼンショーグループなので現在の本社は普通に品川。というかすき家もゼンショーなのでグループ内に牛丼チェーンが2つあるんですね。
なか卯なのに建物が古くてさすが京都。1925年に自動車販売店として建てられたもので、なんと国の文化財に指定されています。さすがすぎる。
七条通り。夜になると街灯がちらちらと点滅していてかわいいのが特徴です。読み方は「しちじょう」ですが、バス停は一条・四条との混乱を防ぐために「ななじょう」と名付けされています。
烏丸通りを越えて、渉成園に向かいます。
こちらは東本願寺の別邸、飛び地の境内地となっている、池泉回遊式庭園です。別名は枳殻邸(きこくてい)。枳殻とは柑橘類のカラタチのことです。京都駅から歩いて10分ほどで来れる大きな日本庭園ですが、わりと穴場な気もする。東本願寺自体は3月に京都に来た時にお参りしました。
手前が臨池亭、奥が滴翠軒。
園林堂。
印月池と侵雪橋。
たいへん静かで落ち着いた庭と、控えめながらも風格漂う建物が並んでおり、とても気持ちの良い庭園。平日の朝ということで人もほぼおらず、庭園を独り占めできます。1653年に当時の東本願寺の法主であった宣如上人が将軍家光より土地の寄進を受けて作ったのが始まりで、多くの将軍や藩主のみならず、明治以降はニコライ二世やヘレン・ケラーも訪れたとか。
アオサギがたくさんいました。留まっているときのスリムさと飛ぶときのダイナミックさのギャップが大きくて素敵。左の子はずっと同じところに佇んでいましたね。
渉成園に限らず今日の京都は全体的に、青もみじがとてもきれいでした。紅葉のときもきれいなのでしょうが、きっと人もそのぶん多いでしょうから、自分一人で青もみじと向き合うっていうのもなかなか良いものかもしれません。
橋もあり、屋根の下から見る緑がまた美しい。
それと、くちなしの花がたくさん咲いていて、甘い香りが庭園中たちこめていたのも良い思い出。パンフレットを開いたらくちなしの香りがふわっと広がったので、相当香っていたようです。くちなしはその実を着色料や生薬に利用しますが、調べてみると炊き込みご飯にしたりもするらしい。花びらも三杯酢とか天ぷらで食べられるらしい。花びらってなかなか食べたことないですね…。
渉成園を後にし、更に東へ歩いていきます。
有名なサウナの梅湯。後ろが工事中なのが玉に瑕ですが、ここだけタイムスリップしたかのような外見。手前には高瀬川が流れています。サウナって最近流行りですが、私は耐えられないので流行に乗れません。以前「ミツメの新曲が『ととのい』って名前だったら嫌だね」という話をしました。
高瀬川沿いを歩きます。○○路地と名付けられたとても小さな路地がたくさんあり、行き止まりになっているということもあり長年の京都人による生活感が染み付いています。
京都にも八王子はありました(八王子市民)。
これが前述した「生活感」です。
高瀬川沿いは木陰も多く、ゆっくりと流れる水に合わせて歩みも遅くなります。今日は大変暑い。
今回は京都に11日間ということですが、今までを思い返してみるとこうして長くどこかに滞在したのは、1ヶ月間のフィリピンが最長。ただ留学なので、こうしてゆったりと暇を楽しむ感じではなかったことを考えると、2014年に函館に4泊くらいしたのが最長記録です。函館という割とコンパクトな街に5日もいるとゆったりできて楽しかった記憶があります。慌ただしく旅行をするのも良い(富山の自分など)ですが、その日に行く場所を決めて余裕を持った旅行をするのもとても良いです。
鴨川を渡り、京都国立博物館にやってきました。美術館だと飛ばし過ぎかなと思ったので博物館に来たという算段です。ふだんはあまり博物館には来ないのですが、縷縷と歴史を紡ぐ京都に来たということで、挨拶がてら(?)やってきました。片山東熊設計の明治古都館が印象深いですが、老朽化のために現在では新設された平成知新館で展示が行われています。
特別展期間中ではないということもあり、来場者はまばら。館内は全面写真NGでしたが、そのぶん名品と一対一で対話ができ、とても良い体験をしました。一番最初にあった野々村仁清の柔らかい印象の椀や、色鮮やかな唐三彩、巨大なスケールの金剛力士像、安祥寺の五智如来像(如来像が5体並んでいる)なんかが記憶に強く残っています。寺で見る仏像も良いですが、しっかりとライトアップされ間近で見れる仏像も良い。
企画展として「オリュンピア×ニッポン・ビジュツ」という展示をやっており、古代ギリシアのオリンピックの流れを元に、八百万の神や競技などに関連する作品が多数並べられています。有栖川宮熾仁親王が身につけていたという蹴鞠用の袴とか、賀茂競馬(平安より行われていた馬の競走、人々はそれを観覧しながら酒を飲んだり踊ったりしている)の絵とかよかった。最初見たときはオリンピックかよと苦笑しましたが、案外おもしろいキュレーションでしたね。
東京国立博物館と比べると、展示している作品の数が少なめで、そのぶん疲れもなく楽しく見ることができました。あっという間に2時間経っていましたが。東京国立博物館は作品が多すぎて圧倒される感じがありますが、こちらは室内も暗めで余白がある感じの展示方法だったのも影響している気がする。
お腹も空いたのでご飯を食べに行きます。エリアとしては七条京阪と言えばよいのでしょうか、お店はわりとあるのですが、火曜休みだったりテイクアウト営業だけだったりして、うまく見つかりません。そして暑い。日傘をさしながら七条大橋を西に渡って、七条河原町にあるカレー屋さんに来ました。
素敵な路地の中にあるasipai(アジパイ)というカレーのお店。鳥取発祥のカレー屋さんのようで、豚キーマとチキンのあいがけをいただきました。ごりごりにスパイスカレーというわけでもなく、わりと食べやすいカレーの奥にしっかりとスパイスが効いていて上品なお味。アチャールもうまい。美味しかったです。去年の夏あたりはわたしもよくスパイスカレーを作っていましたが、スパイスを何個も揃えるほどにはハマらず、アチャールとかを作るとなるとまた大変だし、結局お店で食べるのが美味しい気がする。
鴨川に出ました。
新幹線。京都で東海道線よりも南に行くのって初めてかもしれない(東寺に修学旅行で行ったかどうか…)。
鴨が鳩かってレベルで物怖じせずにそこらへんにいます。鴨川の主役といったところ。
東福寺駅までやってきました。京阪とJR奈良線の乗り換え駅ですね。修学旅行生にとっては鞍馬方面と京都駅を行き来するのに使う駅ですけども、個人的には出町柳と東福寺で2回乗り換えるのが嫌なのでバスを推しています。
ということで東福寺にお参りします。京都五山第四位、臨済宗のお寺です。25もの塔頭(敷地内の別の寺)を有する広大な境内が特徴。塔頭って変換できないなと思ったら読み方「たっちゅう」でした…そうでした…。しばらく歩いていくと、橋に出会います。こちらが本堂への入口となる臥雲橋。
特に知識もなく有名な寺なので来たくらいのモチベーションなのですが、ここは紅葉の名所だそうで、橋の上からは青もみじがきれいに見えます。
かなり良い雰囲気。ここまでもみじがたくさんあると、キメが細かいというか、精密な点描画でも見ている気分になります。クルクルまわって飛んでくことで有名な種だけ赤くてかわいい。
仏殿及び法堂と、日下門。
三門。明治頃に再建された建物が多いなか、こちらは1425年に足利義持が再建したものが現存しています。中には明兆による極彩色の壁画があるようなのですが、特別公開の時期しか開いていません。
境内はそこまで広くないにも関わらず非常に大きな伽藍が並んでいて、名刹の香りがします。東福寺は1255年に建立された寺で、東大寺と興福寺の奈良の二大寺院の名前の漢字を一つずつ取っていることからも分かるように、巨大な寺院として造営されたもの。
500円の拝観料を払って東福寺本坊庭園へ。
美しい枯山水の南庭。外からは見えない構図になっていて、特段広いわけでもないのですが、八海を示す砂紋と五山を示す築山によって、どこまでもひろがる大海原を想像させるほどの奥ゆかしさがあります。拝観料がかかるので入るのを若干迷ったのですが、ここに入っただけで周りの音が少し小さくなったように感じて、やっぱり入ってよかった。まばらな参拝者も、皆さん座り込んで見入っていました。
市松模様とサツキが美しい北庭。イサム・ノグチが「モンドリアン風の新しい庭だ」と評したようです。ここの庭園は1939年に重森三玲という作庭家によって作られたもので、鎌倉期庭園の質実な風格を基調にしつつも、近代的な要素を取り込んでいます。
青もみじ越しに見えるは通天橋。こちらからはもみじがきれいに見えるようですが、拝観料がかかったので行かず。晩秋にはかなりの混雑になるようです。
いやしかし、人のいない寺は美しい。この光景はきっと鎌倉時代もそう大差ないだろうと思うと、ひとつの時間旅行でもある。日本文化に連綿と息づく美を感じることができます。
今度は泉涌寺に向かいます。東福寺からは近いようで坂道を20分くらい歩きます。
途中、泉涌寺の塔頭である戒光寺に参拝、というか、看板に惹かれたので寄ってみました。運慶・湛慶父子が作ったという木造の釈迦如来が鎮座しておりまして、なんと高さは10メートル。お堂の中で写真は取れなかったのですが、ものすごい風格を感じました。応仁の乱の火災を免れたほか、後水尾天皇が首を切られる危機にあった際に身代わりとなり、その歴史を伝えるものとして今でも大仏の首元には傷が残っています。
あやめが綺麗に生けられていました。青い花器が素敵。
ということで泉涌寺に来ました。856年創建。鎌倉時代に再興し、南北朝時代以降には皇室の菩提寺となったいうことで、御寺(みてら)と呼ばれています。「緊急事態宣言中なので拝観料はかかりません」という謎のシステム。
仏殿。
中には仏像が安置されていましたが、入れず。普段は入れるようなので、拝観料がかからないのはそのためですね。
後ろに緑の小山を戴く素敵なロケーション。実はこの後ろの山は後月輪東山陵、孝明天皇の陵墓なのだとか。他にも月輪陵、後月輪陵として鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇から光孝天皇の陵墓があります。四条天皇というと12歳のときに石を廊下にまいて女房を驚かそうと思ったら自分が転んで崩御されたというエピソードの持ち主ですが、ここ泉涌寺を再興した俊芿が天皇の前世という説があるらしく、というのもふたりとも大根が好きだったかららしい。それだけで前世に比定されるほどか?
舎利殿。
歴代の天皇のご位牌を安置する霊明殿。
続いてこちらも泉涌寺の塔頭である今熊野観音寺に。
807年創建。空海がこの地から熊野権現が現れるのを見たというのがはじまりの逸話。熊野大社への信仰が篤かった後白河上皇が再興しました。
あ〜、これね。といいつつ撮ってしまう。
なぜか東福寺よりも泉涌寺よりも参拝客がいましたね。ぼけ封じ観音とかもあり、人々の生活により近いタイプのお寺でしょうか。
とここまで頑張ってきましたが、暑さと足の痛みで疲労がすごい。17000歩くらい歩いていますが、今日までも15000歩は毎日越えていて、多い日は25000歩くらい歩いていまして、まだ16時ですが疲れてしまった。帰ります。
山を下り、東大路通りへ。結構いい感じのアーケードのある商店街でしたが、写真を撮っていませんで。
JR東大路駅なんて設置要望があるんですね。初めて知った。
お茶屋さんがあったので抹茶のスイーツを食べようかと思いましたがそれすらも元気がなく、夜ご飯の買い物だけスーパーでして、バスで帰宅。というか帰ホテル。
そして足が痛いのでベッドにいたら寝てました。3時間くらい寝ましたでしょうか、起きたら20時。スーパーで買ったおにぎりを寝ぼけ眼で食べるというなんとも華々しくない京都1日目の夜…と思っていましたが、口に入れて驚き。
関西のおにぎりって味のりなんですね。なんで知らなかったんだろう、今まで関西でおにぎりを買ったことなかったのかしら。こっちのほうが好きかもしれない。
足は割とまだ痛いので明日湿布でも買おうかなと思います。ということで、やや控えめな京都1日目でしたが、京都の歴史や文化を改めて知るということで良いイントロダクションだったかなと思います。それでは。 地図については気まぐれで作ります。