好きの意訳
今日はお酒を飲んでる。
ぼちぼちとつらつらと書いていこうか。
正答率0%の問題
「私の事好き?」
多分どんな最難関大学の試験、もしくは国家試験よりも遥かに難しい。模範解答なんてない。
ここで、「好きだよ」と答えれば「どこが?」とくる。
詰みだ。
どんなに好きであろうと、愛していようと、それを100%伝えられることは不可能だ。
僕たち人間には想いを100%伝達できる手段はない。
強く抱きしめようとも、貪るようなキスをしたところで、きっと大して伝わってない。
けれども、僕たちは好きだよと言う。愛してると言う。
かの有名な詩人は「月が綺麗ですね」と言ったそうだ。
何とも風流で独りよがりだなと思う。
誰もが相手のことを想って愛してると言うのだと思うが、その本質はただの自分勝手だ。
本当に想い合えているのならば、言葉にせずとも互いに感じられているはずだ。
言葉にすれば想いは必ず劣化する。
だからこそ言葉は愛おしく貴重だ。
どんな想いを込めてその言葉を紡いだのか。残念ながらそれを解釈する手立ては今のところない。
でも、それでいい。100%伝わっていたら面白くない。未知があるからそこに少しの希望も絶望も垣間見える。
最近気づいたのだが、人の言葉と書いて「信じる」と読むんだね。
さて、何を書いていたんだっけか。
好きの意訳か。
結局それは人それぞれだ。ありきたりであるが。
「私の時間をあげるから、あなたの時間をください。」
僕の好き。
それでは。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?