致死量の愛
人は恋では死ねないが、愛では死ぬ
これは僕の名言だ。迷言かもしれない。
「死ぬ」と言ってもそれは生物学的死だけを意味するのではない。精神的に死ぬこともある。
誰かに恋をし、いつか失恋したとしよう。失恋した直後はとてもとてもそれはもう言葉にできないくらいしんどみかもしれない。
けれども、時間が過ぎれば失恋したことすら忘れて新たな恋をしているだろう。
一方で愛は時に人を壊す。行き過ぎた愛は狂気に変わるし、何より厄介なのがその狂気に本人は気づかないことだ。
「愛しているから」
その感情で人は何でも出来てしまう。常軌を逸脱したことを平気でしてしまう。
嫉妬、憎悪、悲哀 、これらの感情の元は愛だろう。
愛が歪んだ形だ。
ところで愛に致死量はあるのだろうか。
よく重い人はそれだけ相手のことを思っている、と言われるが果たしてそうであろうか。
相手が耐えきれない程の愛を、自分の勝手で注いで溺死させているのではないだろうか。
僕は重い。
今まで付き合った女性には全て同じ理由で振られている。
「あなたは優しいけれど、重すぎる」
これがきっと致死量の愛だ。
器があってそこに入れられる量以上を注ごうとすると、耐えきれなくなってその器は割れる。
付き合った女性の中には重いところが好きと言ってくれた人もいたが、その人も結局同じ理由で別れを決めたことが最近分かった。
今回も愛しすぎて、相手に気を遣わせてきっとそれに耐えきれなくなったのだ。
愛も量を間違えれば毒だ。だから人を死に至らしめうる。
そして僕も自分の毒に侵される。
自分の愛に耐えきれる人がいたと思うと、嬉しくなって更に愛を注いでしまい壊してしまう。
僕のことを優しいといってくれる人がいる。良い人と言ってくれる人がいる。
けれども、付き合いたいという人はほぼいない。
おそらく本能的に感じ取っているのかもしれない。
人間には危険回避能力が先天的に備わっている。
きっと僕に対して脳内アラームがビービー鳴っている。特別警報絶賛発令中だ。
僕は決して優しくなんてない。自分勝手に愛を注いで、好きな人を壊すサイコパスだと思う。
毒を以て毒を制す、と言うが僕以上の毒を持つ人はいるのだろうか。
自分の毒で終わるか、耐性のある人が現れるのか。はたまた自分以上の毒使いか。
いずれにしろ狂気的な恋愛をすることになるのかもしれない。
それでは。
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