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彼はむせび泣くようなフォークソングを演じた:宇野昌磨の「ラヴェンダーの咲く庭で」

 この記事は、2021年8月21日に公開されたMikhail Lopatin氏による"“He played a sobbing folk-song”: Shoma Uno’s “Ladies in lavender”"を日本語に訳したものです。
 翻訳にあたり、原著者のMikhail Lopatin氏に了承をいただき、公開の許可を得ております。
 インタビュー内容を転載、引用する場合は、転載元を示す本noteのURLを付記願います。※全文の転載はおやめください※

著者:Mikhail Lopatin

英語による元記事
“He played a sobbing folk-song”: Shoma Uno’s “Ladies in lavender”

ロシア語による元記事
«Он сыграл пронзительную песню»: Ladies in lavender Шомы Уно

2021年8月21日

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 彼はむせび泣くようなフォークソングを弾き、深い悲しみと荒廃、打ち砕かれた希望の叫び声で心を揺さぶった。心の琴線に触れ、それを振動するヴァイオリンの弦に変えてしまうと、痛いほどの絶望で魂を突き刺す。演奏は長く余韻を残す高音で終えると、その痛みは耐えられないほどまでになった。そして安堵する吐息ともに終わりを迎えた。
(”Ladies in lavender” from “Far-away Stories” William J. Locke, 2019, P.60)

1.歴史:浅田真央(2008、2003)

 2007年の夏、浅田真央――ラファエル・アルトゥニアンの指導を受ける日本人の神童――はタチアナ・タラソワのもとでトレーニングをするため、ロシアへ旅立ちました。世界の中でも権威あるコーチの一人とのトレーニングから得たかけがえのない経験全てから別れ、真央は新しいショートプログラムとともに間もなく始まる2007-2008年シーズンへと戻ってきます。(ショートプログラムは)ほんの数年前に劇場公開されたイギリス映画、「Ladies in lavender」(※訳注 邦題「ラヴェンダーの咲く庭で」)のオリジナル・サウンドトラックに、タラソワが振り付けを行いました。当初、2007-2008年シーズンは真央にとって、計画通りスムーズというわけには行きませんでした。真央はグランプリファイナルへ進みましたが、ショートで順位を落とし6位に。真央は四大陸選手権が始まる直前にラファエル・アルトゥニアンとのコーチ関係を解消しなければなりませんでした。結果として、2008年の世界選手権では全くのコーチ不在の状態で臨み――にも関わらず、また更にフリープログラムで開始早々に苦戦を強いられる場面もありましたが、最終的に勝利をつかみ、自身のキャリアの中で初めて世界チャンピオンを達成しました。「Ladies in lavender」の堅実でクリーンなスケートは、この勝利の礎となったのです。

「Ladies in lavender」のサウンドトラックで滑ったのは真央が最初ではありません。ちょうど一年前、アメリカ人選手のCaroline Zhangが、同じ映画の曲を主なメインテーマとして使用し、世界ジュニア選手権で勝利しています。しかしながら真央は自身の出身である日本に、何らかの伝統を確立しました。真央の後、何人かの日本人スケーターが、競技あるいはエキシビションのプログラムに「Ladies in lavender」を使用しています。2011年に鈴木明子、2014年に町田樹、そして宇野昌磨、永井優香が2016年に使用しています。

 今述べたスケーターの一人が、真央と興味深い経歴を共有しています。初めて世界チャンピオンになる5~6年ほど前、真央は名古屋にある練習場所のリンクで、ある可愛い子どもと出会い、フィギュアスケートの練習を続けるよう勧めました。

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 時が経ち、小さな可愛い子どもはフィギュアスケート選手として成長します。真央が初めて世界チャンピオンのタイトルを獲得した同じ2008年、その小さな子供は全日本選手権のノービスBカテゴリで優勝します。彼が(2014年の)全日本ジュニア選手権と、2015年の世界ジュニア選手権で優勝するまで7年以上も前の事です。更にそれから数年が経ち、2017年に既にシニアとなっていた彼はその卓越性で広く知られている伝説的な「Ladies in lavender」をショートプログラムに使用し、世界選手権で銀メダリストに輝きます。同じ年の2017年夏、彼は偉大な浅田真央へのトリビュートとして、THE ICEで「Ladies in lavender」を滑りました。

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 彼の名前は宇野昌磨。そしてこの「Ladies in lavender」――昌磨の全キャリアの中で、私が最も愛しく思うプログラム――を、本日考察したいと思います。

2.ストーリー:アンドレア・マロウスキー(1908、2004)

 ウィリアム・ロックによる、主人公を題名に冠した短編小説は、真央の歴史的なタイトル獲得からちょうど1世紀前に出版され、比較的シンプルな思想を伝えています。:"愛に消費期限は無い"(あるいは、プーシキンの「エフゲニー・オネーギン」で言い換えれば、"to love all ages yield surrender(老いも若きも恋はする ※1)"。

老いも若きも恋はする ※1 訳注
小澤政雄訳、完訳エヴゲーニイ・オネーギン、1996、p.269 
株式会社 群像社


 20歳のポーランド人ヴァイオリン奏者、アンドレア・マロウスキーの意識を失った体が、激しい夜の嵐が過ぎ去った後のコーンウォールの海岸に打ち上げられます。二人の姉妹、ジャネット・ウィンディントンとアーシュラ・ウィンディントンが朝、その彼を発見。アンドレアは生きているようで(ただし足首を骨折していましたが)、そしてたまたまなんですが、ハンサムだったのです。発見時、二人の姉妹のうち一人がそっと告白します。彼は「まるで若きギリシャ神話の神のよう」と。それからハンサムな彼の体は姉妹の家に運び込まれ、ウィリアム・ロックの原作では48歳と45歳の二人の姉妹から世話を受けます(映画ではより年上の設定です。ジュディ・デンチとマギー・スミスは撮影当時68歳でした)。二人は海のすぐ側の丘の上にポツンと建った小さな家で、静かに、どちらかと言うと何の変化もない日々を過ごしていました。弱った彼の体を治そうとする看病は、じきに二人の姉妹の間で形を変え、ある種の競争に変化します。妹のアーシュラは特にアンドレアの存在に影響を受け、献身的に病気の男性を世話していくうちに恋愛感情と愛情へ変わっていくのです。

 物語の主人公二人の間の叶わぬ恋は、チャールズ・ダンス監督の映画にも、ウィリアム・ロックの原作にも満ちている感情的な緊張感を生み出します。映画では、夜、アンドレアの部屋にいるアーシュラを見つけた姉のジャネットが、妹に自分のベッドへ戻るよう命令する場面で、静かではありますがクライマックスシーンを迎えます。アーシュラが去ると、アンドレアの顔へクローズアップします。彼は完全に目が覚めており、何が起こっていたのか全部分かっていたのです。

 翌朝、二人の姉妹による会話は、この世代を超えた愛の辛い本質を明らかにしています。

 ――アーシュラ、アンドレアは少年よ。

 ――そして、私は年をとったおばあさん。愚かで滑稽よね。そしてお馬鹿さん。

 ――感じやすいだけ。

※訳注 映画「ラヴェンダーの咲く庭で」 角川書店 2006

3.音楽:宇野昌磨(2017)

(ジオブロックのため見られない動画です( ;∀;)) 

 映画に流れる恋愛への切望、張り詰めた空気は全て、サウンドトラックの中で表現されています。とりわけ、 ヴァイオリンとオーケストラのための"幻想曲"は、映画の虚構の世界ではアンドレア自身によって演奏されていますが、実際は著名なヴァイオリニスト、ジョシュア・ベルが演奏しており、この"むせび泣くような音楽"が、このシンプルなラブストーリーの根底にあるドラマを昇華させています。この映画が伝える感情、ドラマを目にし、感じることができる音楽的な緊張感と切望の鏡なのです。音楽と振付は、それ故に、映画の感情の世界と、その演劇的要素への真正面の入り口の役目を果たしています。

 このプログラムの最初の振付的な"区切り"――最初の技術要素である4回転フリップの部分まで――は、この語られている物語を基本的な振付方法で全て見せています。:スタートポジションの、繊細で、磨き抜かれた表情の表現や、

04顔の表情

 すぐさま反応する昌磨の腕の柔らかさ、滑らかさは、ヴァイオリンの旋律を形作り、奏でます。

 土台となる音楽のリズムと拍子から決して離れることのない昌磨の脚のリズミカルな動きは、4回転フリップ前に更にスピードを増そうとするためのシンプルなステップや、

 LFI-LBO(左前インサイド→左後ろアウトサイド)ブラケットのような、より難しいステップやターンにも見られ、

 このような音楽に反する全ての必須技術要素の配置は音楽の構造を強調しています。(この場合で言うと、プログラムで最初のジャンプは、メインテーマが始まる直前のイントロ部分の最後に来ます。)


 最後に、上半身の驚異的な弾力性と滑らかさは、"体積"を多く生み出し、氷上にいるスケーターをより大きく見せ、物語の表現に深く入り込み、それを最大限に伝えることを可能にしています。

これら全てを、振付の側面から一つ一つ見ていきましょう。

A.形:ジャンプとスピン

 4回転フリップは、このプログラムの中で構造変化と一致する唯一のジャンプではありません※2。それに続く2つの技術要素(4T-3Tのコンビネーションジャンプと最初のスピン)は似た形で配置されています。両方のジャンプは力強いか、もしくは比較的強い拍に乗せて跳び上がることで一つの音楽のフレーズの最後(前楽節と呼ばれます)を強調しています。その一方で、スピンはその次のフレーズの最初(後楽節と呼ばれます)で始まります。樋口美穂子による振付の形は、従って、音楽の構造と切り離せないほどリンクしているのです。

構造変化と一致する※2  著書による補足
 原文「Quadruple flip is not the only jump in this program to fall on some kind of structural break.」、ここでの”fall on”は”coincide with(ピタリと一致する)”という意味。また、” emphasize(強調する)”、”stress(強調する、アクセントをつける)”としてもよい。
 別の言葉で言えば、(音楽のフレーズの最後と、また別の音楽のフレーズの最初の間にある)構造変化が正確に起きている、と言い換えられる。

 その他の技術要素の内部構造について、特にスピンは、より繊細に、微細な方法で、音楽のフレーズを追いかけています。シットスピンはその良い例です:足換えを行う2つのメインポジションは似ている2つの音楽のフレーズと完璧に一致しており――足換えのジャンプは、前述した構造変化が正確に起こっています。

 ステップシークエンスの最後、リズム的に正確な3つ目のステップ
 (ロッカーRFI-RBI(右前インサイド→右後ろインサイド)、
  カウンターRBI-RFI(右後ろインサイド→右前インサイド)、
  ブラケットRFI-RBO(右前インサイド、右後ろアウトサイド))
と、最後のコンビネーションスピン(CCoSPチェンジコンビネーションスピン)の始まりは、非常に明確な音楽のアクセント(スピンに入るバタフライの形のところ)によって強調されており、名演奏家による曲の結びであることを示しています。

 しかしながら、"幻想曲"全体で最高潮に達するポイントは、昌磨のトリプルアクセルに対して配置されています。クライマックスへと続く音楽の楽句(※訳注 通例、4小節、8小節から構成されるまとまり)の"始まり(take off)"と、トリプルアクセルの”離氷(take off)”が完璧に一致しています。

 根底をなす音楽構造と、様々な必須の技術要素をシンクロさせることで、このプログラムが自然に呼吸、展開し、本質的に"音楽的"だと感じられるのです。これは、とは言え、外側の形でしかありません――あらゆる"内容"で満たされる、空っぽな骨組みなのです。このプログラムの内部表現は、別の手段によって実施されています:このプログラム自身の"メロディ"、"リズム"、そして"テクスチュア"を作り出す、昌磨の腕、脚、上体の使い方がそうです。

テクスチュア(音楽用語)-wikipedia

B. 腕のメロディ

 昌磨の過去のプログラムのいくつかでは、どちらかというとシャープだったり、鋭かったり、オープンな表現に富んでいるように見えます。ですが、このプログラムでは異なる動きをしています。最初から目を引くのは、丸みを帯びた形、"より柔らかい"手首と肘、"揃えた"指先、より滑らかな動き――別の言葉で言うと、よりバレエ的であり、優雅なポール・ド・ブラ(腕の動き)です。これは冒頭から明確ではありますが、2つのスピンの間に挟まれるトランジション中、昌磨の腕が上下の動きとともにメロディの形を"成形"するかのような場面で特に顕著になります。

 よりオープンで見慣れたタイプの表現は、音楽によって求められた時にだけ出てきます。例えば、クライマックスのトリプルアクセルの直前、

もしくは既に前述したような最後のスピンの冒頭がそうです。

C. 脚のリズム

 両腕が主にヴァイオリンのメロディの形と色を強調する責任を負っている一方、昌磨の脚は根底に流れるリズミカルな土台を忙しく支えています。前述した導入部の基礎のリズムは、4回転フリップに入る前置きとなるステップの短い動きの中でハッキリと目に見えるようになります。このリズムの正確さは、技術要素が更に複雑になっても破綻しません。ステップシークエンス全体が、シンクロするリズムの良い例です。具体的に、ステップシークエンスの最初にあるランジ、ベスティ・スクワット、イナ・バウアー、RFO(右前アウトサイド)のエッジを見てみましょう。

 また、シークエンス最後のステップは既に述べた通りです。

D.上半身の"テクスチュア"

 スケーターに腕のメロディと脚のリズムを結びつけさせる、極めて重要な表現手段の一つに、上半身があります。ジャンプとスピンを音楽とシンクロ可能にし、良い姿勢とポール・ド・ブラ(腕の動き)を加え、足でリズムを追いますが、これら全てが融合し、体によって生命を吹き込まれた時だけ、プログラムが正しく"呼吸し"始めるのです。「Ladies in lavender」の独特な表現、本来備わっている"音楽的才能"は、他に類を見ないほど柔軟で流暢な昌磨の上半身によるものが大きいのかもしれません。

 プログラム全体を通して、星の数ほどもあるこの柔軟性と滑らかさの例が簡単に見つかります。ステップシークエンスの最初に、その一例があります。昌磨の体は決して止まることも、硬直することもありません。スケーターが音楽のきめ細やかな細部まで表現し、複雑な感情の世界を最も忠実に描き出せる滑らかさ、しなやかさといったものを正確に生み出しているのです。

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4.追記:タチアナ・タラソワ(2017年)

 宇野昌磨が、自身のプログラムに使ったサウンドトラックの原作の映画を見たり映画のプロットを読んだりしたか、もしくはその両方ともしていないとしても、大した問題ではありません。チャールズ・ダンスが製作した映画、ウィリアム・ロック著の短編小説の正確な内容は、昌磨のプログラムを理解するのに重要ではないのかもしれません。もし昌磨が映画もそのストーリーも知らなかったとすれば、音楽のフィルターを通じて、プログラムが映画とそのストーリーの重要なポイントである悲劇的な曖昧さや愛の割り切れなさを伝えているだけに更に驚くべきことです。

 2017年の世界選手権で昌磨が滑った後、タチアナ・タラソワ――この記事の冒頭に述べた、浅田真央のプログラムを振り付けし、その世界選手権のテレビ放送時に解説を務めていました――が、氷上に出ようとしている自分の愛弟子、マキシム・コフトゥンの事をしばし忘れ、心から愛のこもった長い独白を演説したのも不思議ではありません。この言葉それ自体が、魅力的な証言の一つです。(英語字幕版はこちら

(※注 日本ではジオブロックのため見られない動画でした……( ;∀;)
 リンク先で、英語字幕の入った動画をダウンロードできます。かの有名な、タラソワ先生が昌磨さんのことを「子鹿のように飛び跳ねて!」とベタぼれしている動画に、✨💙✨@choromatsu333 さんが英語字幕をつけてくださっています)

 滑走直後に「もう、彼のことが大好きなの!」。リプレイが始まる時は「可愛い子……malyshatina(小さい子ども)――なんて可愛い、小さな子」。スケート全体を"要約"すると「ただただ喜びだわ、この上ない喜び」な演技、キスアンドクライのシーンの間中「可愛いわ、単純に言って可愛いのよ」。――これらは全て昌磨のスケートと、彼がプログラムの中で鮮やかに演じてみせたスポーツのもう一つの側面である音楽性、スケーティングスキル、そして美しさへの、誠実な愛と心からの感謝の表れです。そして彼女の言葉はもっと他の事、それより更に深い事を明らかにしています。ある意味で、このストーリー自体の中心となるドラマを再現しており、音楽の中で、音楽を通して、その愛の悲劇を昇華させているのです。

 タラソワの言葉は、意図的かもしくは直感的に、4分半のプログラムの中で、昌磨が実際にストーリーのメインキャラクターであるポーランド人のヴァイオリン演奏家・アンドレア・マロウスキーになり、スケート会場全てと、タチアナ・タラソワを含む――彼のスケートに心を釘付けにされた人々――を、美しさと愛を渇望する「ラヴェンダーに囲まれた女性(Ladies in lavender)」へと変えた事を明らかにしました。この変化は、この忘れがたい演技とプログラムの奥にある主なミステリーだと私は考えます。彼はむせび泣くようなフォークソングを演じ、深い悲しみと荒廃、打ち砕かれた希望の叫び声で心を揺さぶったのです。

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P.S. 技術に関する内容について、早急に手助けしてくれたLittle Sparrowに心から感謝します。

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 翻訳は以上です。翻訳、公開を許可してくださったMikhail Lopatin氏に感謝申し上げます。今回も英語から日本語に訳す際の質問にも丁寧に回答していただき、そのうちの一つを著書による補足として追記しております。

I really appreciate the original author Mr. Mikhail Lopatin for kindly allowing me to translate and share the wonderful article. Thank you so much for taking the time to answer my question. I really enjoyed to read, particularly Shoma's flexibility makes the program more expressive and convincing.

 冒頭と、記事最後の「彼はむせび泣くようなフォークソングを弾き……」で始まる文章は、映画「Ladies in lavender」の原作となった小説版「Far-away Stories」というタイトルの本からの引用です。
 また、「発見時、二人の姉妹のうち一人がそっと告白します。彼は「まるで若きギリシャ神話の神のよう」と。」という描写は、映画にはありませんがこの小説版で登場します。

Kindle版だとなんと165円で買えます!(2021年9月26日時点)
(この翻訳にあたって買ったんですが、超お買得でラッキーだった…)

「Ladies in lavender」でAmazonを検索すると出てくるこちらの本は、台本形式の本なので注意が必要です~


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