重力の法則(宇野昌磨のGravity)
この記事は、2022年12月28日に公開されたMikhail Lopatin氏による"The Laws of Gravity»"を日本語に訳したものです。
翻訳にあたり、原著者のMikhail Lopatin氏に了承をいただき、公開の許可を得ております。
インタビュー内容を転載、引用する場合は、転載元を示す本noteのURLを付記願います。※全文の転載はおやめください※
※本文中のwikipediaへのリンク等は、私が追記したものです。
著者:Mikhail Lopatin氏
英語による元記事
The Laws of Gravity
ロシア語による元記事
Притяжение Шомы Уно(宇野昌磨の引力・魅力)
1.音楽の引力(The attraction of music)
音楽の素材の中に自分自身を落とし込むスケーターの技量、また、音楽の世界観が自然に続いているかのように、ポリフォニー(多声音楽)全体の新たな声のように思えるほどにまで観客を自分のスケートに没頭させる技量など、何をもってスケーターの音楽性を深いレベルで定義するのでしょう? “自然”、”オーガニック”なスケートだと感じる気持ち――あるいは、ジョニー・ウィアーによる宇野昌磨のスケーティングについての洞察に満ちた意見※1を引用すれば、スケート靴のブレードが、生まれつき体から伸びているようだと思えるこの感覚はどこから来るのでしょう?
音楽性が織りなす深い層と、そこから生まれてくる磁気引力の真髄は、ジャンプやスピンを行う時にそれぞれの音楽のアクセントを単純に使う中にはさほどありませんし、最も記憶に残る音楽のパッセージ※2を強調する数少ない印象的な振付の’トリック’の中にも決してありません――これらはより表面的で、そのまますぎる音楽性の特徴と言えます――そうではなく、この抗いがたい引力の隠された秘密は、より基本的なリズムのレベルで、スケーターの動きと音楽との間で交わされる正確な調和の間に存在しているのです。音楽がスケーターの行う全てのステップとターンを引き付け、スケーターのリズム、テンポ、キャラクターを決定しているように見える時――これこそが’重力’と引力を生み出しているということなのです。
例えとして、ジャンプに入るところを取り上げてみましょう。あらゆるプログラムで最も型通りで定型化された部分であり、通常、何年にも渡る退屈な練習によって磨かれ、完成される箇所です。これらステップとターン(と腕の動き)のスタンダードな組み合わせは、ほとんどの場合、その年から次の年になって、プログラムが次の新しいものになるまで実質的に変わらないままなので、最終的にスケーターのマッスルメモリー※3に深く染み込むようになります――このルーティン的に繰り返されるパターン部分には、いかなる音楽性も芸術性もこれ以上の伸び代は無いように思えます。
とは言え、こちらの四回転フリップの入り方をご覧ください――注意深く耳を傾けてみましょう!
一方ではスケーターのステップによって生み出され、他方では音楽によって生み出されるリズミカルな拍に、より注意を払ってください――これが、重力を生み出している調和と相互作用です。
宇野昌磨のスケートで私を魅了してやまないのは、彼のこのプログラムの中で一番シンプルなステップで、型にはまった何の面白みもないような小さな動きをしながらも、この’小宇宙’レベルで音楽の中に自分自身を没入させる彼の正確な能力です。また、彼の動き――根底に流れるリズムに合わせて厳密なまで動き、音楽の拍子全てを強調する――の中にある’機械的’ で硬い部分と、自由奔放になってリズムから逸脱し、その結果’引力’の重要な力を失うまでの間にある細い糸をたどるのも彼が持つ能力です。ある程度の自由さと即興性を保ちながら、骨組みとなるリズムに合わせていくのも彼ならではの能力でしょう。音楽演奏の世界でrubato(ルバート)※4と呼ばれるものが昌磨のスケートにはあります――ルバートとは、音楽の世界観を紡ぐ自然(natural)で有機的(organic)な流れを伝えるために、リズムの’不規則さ’を許容される範囲で――実際にはより積極的に、リズムを変えることです。いつ速度を上げて、いつ速度を下げるか――いつメトロノームのような正確さから逸脱するか――が分かるのは、音楽の演奏家にとって欠かすことのできない資質です。
4T-2Tのコンビネーションジャンプは、音楽とスケーターとの間でリズムを調整している様子がよりハッキリしています。
このジャンプの入りの最初から、続くコンビネーションジャンプの最後まで、それぞれの強い音楽のビートが体の反応、レスポンス(それぞれ腕の動き、あるいはターン、ジャンプ(2T)でも)を即座に引き出しています。前述の例にてらせば、スケーターを音楽と結びつけている見えない糸があるようです。時折、この見えない糸は多少きつくなったり緩んだりしますが、完全に切れてしまうことはありません。常にそこに存在しています。
あたかも、Gravityの歌が独自の重力場を生成し、その中でスケーターが動き、呼吸をしているかのようです。
2.線の幾何学
昌磨のスケートが作り出す引力と重力のもう一つの重要な要因は、音楽を組み立てている素材の全ての曲線と折り目を、氷のシート(ice sheet = music sheet(五線紙)にかけている)上に変換できる、上質な’楽器’を持っていることにあります。非常に自然に、有機的に曲を演奏することができ――上に述べた、リズムのルバート奏法も用いながら――ですが、ストラディバリウスを買う代わりに、近所の家具工房で買った粗悪なヴァイオリンしかないのであれば、この引力と没入感を作り出すのは非常に難しいでしょう。正しい感覚を持つだけでは十分ではなく――優れたテクニックと適切な楽器が必要なのです。
スケーターの’楽器’とは、腕、姿勢、顔、足、スケートのブレードを指し、言い換えれば、その体全体ということになります。昌磨は、疑問の余地なしに、真に素晴らしい楽器の幸運な所有者でしょう:柔軟性のある上半身、美しい腕、傑出したスケーティングスキルはスケーターの表現力である3本の柱を形成し、いかなるレベルであっても幾何学的に複雑な振付の構造を組み立てることができるのです。
《彼の動きにはある’重さ’があって、この’重さ’が並外れた力強さ/緊張を生み出しています。彼にしかできない素質ですね。》――昌磨のスケーティングの特質について、彼のコーチであるステファン・ランビエール以上にしっくりくる定義をした人はいません。これが実際に意味するところは、’ tension 緊張’と’解放’(或いは、マーサ・グレアム※5が言うところの’ contraction 収縮’と’ release 弛緩’)を生み出す昌磨の能力であり、これができるのはわずか一握りのスケーターしかいません。
これらの短い振付で見せる手、頭、表情の動きで私の心を打つのは、スケーターが自身の動きに全てを傾けていて――力強さを生み出し、ジェスチャーを増幅をするために自分の体、頭、首、そして目さえも全て使い――そして、それらがスケーターを氷の上でより大きく見せているところです。
この動きを増幅させる様子は、空間上の平面にある主な4つの座標すべて:上、下、右、左の隅々にまで届く幾何学的に複雑な形に至る時に、とりわけ顕著になります。今シーズンのステップシークエンスは(SP、FSの)両方とも、腕、上半身、スケート靴のブレードによって形作られる、名演奏家が奏でるような対位法※6が見られます。
Gravityのステップシークエンスでは、ラインが作り出す幾何学が作用することで、より一層美しく、複雑な部分が最大の見せ場になっています。
この短い動画で、スケーターが異なる空間の軸と平面を隅々まで網羅しているか、注意してご覧ください。昌磨の右手の軌道だけでも、多方面へ動いている様子が現れています:最初に頭を抱え――下に動かし――上に上げて――また頭へと戻ります。一方、最初はほぼ同じ軌道を辿っていた左手は、最後の方で右手と離れたことで、新しいライン、新しい’声’を作り出しています。それに加えて、上半身は全てが伸びたり縮んだりしながら、独自の旋律を’歌い’、そしてブレードはまた別のライン――ベースラインでしょうか?――を、複雑な対位法全体に付加しています。氷の上に、このような複雑な幾何学模様を生み出す昌磨の熟練した技巧の裏に、それぞれの独立したラインを’一体化’させる彼の上半身の柔軟性があると私は思います。
この空間的な複雑さ、質量、多方向に渡る動きこそが、バロック音楽が持つ対位法の複雑さ、より分かりやすい古典的なテクスチュア※7を持つ、率直なまでに感情に訴えてくるイタリアの巨匠・プッチーニによるオペラ、繊細な表現力が印象に残るフランスの音楽、複雑なリズムを刻むブルース音楽、ドラマチックなまでに華やかで爆発するようなラテン・アメリカとスペイン音楽の両方で、昌磨が心地よく感じる理由なのです。様々なスタイルとジャンルで説得力があるように見えるのもこのためです。
昌磨の身体はストラディバリウスです。この楽器でどんな音楽でも弾きこなすことができ、音色も美しく響き渡るのです。
3.宇野昌磨の魅力
ジョン・メイヤーの歌にあるgravityは重圧、期待のプレッシャー、失望、別れのことを歌っています。私達を打ちのめす全てのことを。私達の夢や希望を忘れさせてしまうもの全てを。私達の足を止めさせてしまうもの全てを。
Gravity is working against me
(重力が僕に逆らってくる)
And gravity wants to bring me down
(重力は僕を叩きのめしたいんだ)
また、このgravityは、期待の重圧についてでもあり、我々は時に自分の意思で丘を登り始めることもある、というシーシュポスの岩※8についてでもあります。重圧とは、例えば、2018年のオリンピック銀メダル:新たに得たスーパースターという地位と、それに伴う期待される全ての重圧。良い演技をして、得点とメダルを手に入れるという重荷――それが徐々に、自分がやっていることに対してのエネルギーと愛を吸い取って行ってしまいます。
It’s wanting more that’s gonna send me to my knees
(多くを望むほど、僕は打ちのめされてしまう)
その手から岩が滑り落ちる限界に到達するほどまでに。散々な演技のあと、一人でKiss&Cryに座っていると実感するほどまでに。その重荷に押しつぶされて涙を流すほどに(打ちのめされてしまったのです)。
宇野昌磨のキャリアには、この重荷に苦しむ瞬間があり――そして新たに立ち上がったのです。ですがこの重圧は、跡形もなく完全に消えたわけではありません――彼のスケーティング、彼の人格に足跡を残しています。昌磨のキャリアを形作り、厚みやフォルム、そして幾何学的複雑さを生み出しました。力強さと緊張感に姿を変え――そして魅力と重力を生じさせたのです。
全ての仕事のスケジュールを全て再調整してでも、私に旅行の計画を立てさせ、トリノのGPファイナルのチケットを買わせるように駆り立てたこの重力。私には、昌磨のスケートを再び目にするこの旅が必要でした――2016年のロステレコム杯から6年、私の人生で10回目となる試合観戦で、私は彼の成長と復活を見届けたかったのです。一人の人間がどうやってこの重圧と戦い――そしてどうやって勝てるのかをこの目で見たかったのです。そしてどうやって空高く羽ばたき、どうやって夢を描くのか。そのインスピレーションを得て、その目に重力を感じ、内なる強さを知ってこう言いたかったのです。
重力よ、僕から離れてどこかに行ってしまえ!
こちらはもともとロシア語で上梓した随筆の英語版です。オリジナルのロシア語記事はこちら
翻訳は以上です。翻訳、公開を許可してくださったMikhail Lopatin氏に感謝申し上げます。
To Mr. Mikhail Lopatin,
I really appreciate you for kindly allowing me to translate and share the wonderful article.
Your article was so great as always! Especially, the last chapter made me cry…… I feel your kind heart and warm support for Shoma. I remembered the past several years of him and realized what a miracle skater Shoma is. You described the details how Shoma has the unique quality for the technic and musicality, so I was able to discover new attractions of Gravity !
Congratulations on your 10th time watching Shoma live with his gold medal!!
You are the one of the best and great of fans of Shoma.