2018年平昌オリンピック銀メダリスト宇野昌磨が、ジャパン・オープンでオリンピックシーズンの幕を開ける
PyeongChang 2018 silver medallist Uno Shoma to kick off Olympic season at Japan Open
宇野にとって、2018年にオリンピックの表彰台に登ってからの3年間はローラーコースターのような3年間だった。最近ではコーチのステファン・ランビエール不在のまま、ホームである日本でトレーニング中だ。
By Nick McCarvel
30 September 2021 17:19
「僕にはまだ成長できる余地がある。今日、帰るので(世界選手権に向けて)練習に取り組んでいきたいなと思っていて……」
※訳注
https://www.youtube.com/watch?v=1eA2h1dWGvA
(インタビューの言葉はここから一部引用しました)
これは2018年平昌オリンピック閉会時、部屋いっぱいの記者を前にした五輪銀メダリスト・宇野昌磨の言葉だ。
五輪表彰台に登ったばかりの日本人フィギュアスケーターは、既に次へと目を向けていた。数週間後に迫る世界選手権。最終的に宇野がメダルを――もう一つの銀メダルを勝ち取ることになる。
この視点は新たなオリンピックシーズンに移行するにあたり、見過ごせない一つだ。現在23歳の宇野は過小評価されるべきではない――彼の決意においても、ハイレベルなスケートを生み出す能力においても。
世界選手権で二度メダルを獲得、全日本選手権でも4連覇を果たした彼は、今週土曜日(10月2日)に、埼玉で行われるジャパン・オープンで2021-2022年を迎える。通常であれば国際的な出場者が目玉の試合だが――感染拡大のための渡航制限を考慮し――日本人スケーターのみの構成になる。
ここで、宇野のオリンピクシーズンまでさかのぼってみよう――このビデオの宇野から何を読み取るべきか。
北京の4回転:ジェットコースター
2018年、ミラノで開催された世界選手権で宇野が銀メダルを獲得した後、2018-2019年シーズンでは派遣されたグランプリシリーズ2戦ともに優勝、グランプリファイナルでは銀メダルを獲得し、自身のタイトルに3度目の全日本選手権を加えた。だが埼玉での世界選手権では表彰台を逃し――4位に終わる。
4位という結末は、2019年のフランス杯の8位という結果を含め、一連のジェットコースターのような戦績のきっかけだった。しかし、このことは宇野にとって学びを得る時間だった。彼はすぐに、非公式ではあるが、2006年の五輪銀メダリスト、ステファン・ランビエールとともに協力関係を始める。
ランビエールはその後、フルタイムで宇野のコーチになった。
8位で(フランス杯を)終えた後、宇野はこう話す。「僕は結果が出ないとスケートは楽しくないとずっと思っていました。だけど僕がたくさんミスをしてしまって、望んでいたような結果を出せなかったとしても、僕はまだ勝ちたいと思っていますし、もう次へ向けて前を見ています。」
彼はこう続ける。「このことで僕がどれだけスケートを好きか自覚しました。その後、すぐに(ランビエールとともにトレーニングするために)スイスへ行きました」
パンデミックが始まってから、宇野は最善を尽くす姿を見せている一方、2021年のほとんどをランビエールと離れて過ごしている。ホームの日本では、アイスショーに出演し、長距離で離れている指導者と連絡を取り続けている。
ジャパン・オープンはオリンピックメダリストにとって、2022年北京五輪に向かう彼の立ち位置を見る最初の試合の場となる。
昌磨のスケジュール:ジャパン・オープン、それから
埼玉のジャパン・オープンは、男女シングル選手で構成される2チームを配し、宇野は佐藤駿、山本草太とチームを組み、田中刑事や友野一希、三宅星南らと対峙する。
二度のオリンピックチャンピオン羽生結弦と現世界選手権銀メダリストの鍵山優真はともに出場しない。
ジャパン・オープンからは、宇野はグランプリシリーズ初戦となるスケートアメリカ(10月22日ー24日)に派遣され、ホームである東京のNHK杯杯(11月12日-14日)へと続く。彼のスケジュールはまだ追加される可能性もあるが、忘れられない2018-2019年シーズン以来、初めてである5度目となるグランプリファイナルへ出場を見据える。
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