日々是左京 2019/04/25
独特のゆるさを醸す京都市左京区での日々の暮らしを淡々と綴る、つもり。
人の日記って、面白いなと思う。日々の出来事を淡々と書いてあるだけなのに、その人の日常が連なることで立体感を持ってその暮らしぶりや人々、土地、考えまでもが見えてくる。だからといって、私の書いたものが面白いかどうかはわからないが、とにかく日々を積み重ねたボリュームが、どんな味わいを持っていくのか自分でも見てみたい。そう思って、勝手に連載(?)を始めることにした。
2019年4月25日(木)曇り時々雨
今日は朝から友人Tちゃんが家に来る。子どもたちは保育園や幼稚園。お互いの子どもなしでゆっくり話せるのは珍しい。とっても可愛らしい絵を描く画家であるTちゃんと、「好き」を仕事とすることや、生計のことが頭によぎると純粋に楽しめなくなって苦しい、などの話をする。私の場合、俳句をプロとしてやろうとすると、邪な野心が走りすぎて詠めなくなりがち。好きなものはとりあえず聖域として取っておく、そのほうがいい作品ができる例もあるというような話も。話したいことがスパークしすぎてお互いちょっと息切れしながら解散したが、本当はもっと話したいくらい。
昼食は朝炊いたきのこ&大根の炊き込みご飯と、昨日の残りの肉野菜炒め。豚肉をたくさん食べた。
大学の図書館へ行く前に細々とした買物を済ませる。ふたりの子どもがいないと驚くほどはかどる。自転車の乗せ降ろしだけでも結構な手間と重労働なので、これまで子連れでは何軒ものお店を回るような買物はなかなか出来なかった。身軽すぎて戸惑っている自分に気づく。
北白川のファーマーズ・マーケットで自然療法家のMさんや友人Kちゃん、双子ちゃん親子とも偶然出会う。約束してなくても誰かに会えるってよい。左京のよいところはこの規模感、距離感。
図書館ではまた違うKちゃんと久々に会って小声で近況報告。お互い、子どもたちの新生活や、Kちゃんが始めるシュタイナーの教室の話などする。今度お昼しようと約束。少し勉強。フェミニズムについて考えている。
これからお迎え。保育園帰りは、母に数時間ぶりに会った嬉しさからくる甘えと、お腹が空いてるからか、兄妹喧嘩ばかり。預けられれば楽かと思いきや、親も疲れてる上に、子どもの一日の疲れと甘えがピークに達したところだけを引き受けることになるので、案外しんどいのでは、と感じる。預けずに自分たちのペースで過ごすと、子どものよいところや兄妹でいても穏やかな時間も見られるので、喧嘩してもその流れの一部と捉えられるけど、保育園後は喧嘩の部分だけがクローズアップされる感じ。何事も良し悪しあり。
しかし、やはり仕事やインプットの時間が持てるのはいい。帰宅したら仕事の依頼があった。一つ返事で引き受けられる嬉しさよ。
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