34/* 自分の名前に誇りはありますか?
名前、は自分にとって一番身近なもので、何より長く寄り添うものなのに、意外とそれについて考えている時間は少ない。生まれたころからあって当たり前、のものだからかもしれないけれど。
でも、僕は名前について考えることが好きだ。それは、自分のことについても、人のことについても。誰かの名前を聞いて、「ああ、この名前がよく似合っているな」と思う人は大抵、自分の名前に誇りを持っていたり、由来や込められた想いなどをよく知っている。
それを聞くとさらに、いいな、素敵だな、と思う。
僕の名前
ところで僕は、ある時まで自分の名前があまり好きではなかった。こんなことを言うと親はとても悲しむだろうけど、それには理由もある。
まず、漢字が難しい。今となってはどうってことないけど、幼かった頃の僕にとっては、覚えづらくて、バランスも取りづらい、とても難易度の高いものだった。
変換で一発ではでてこないから、様々な郵便物が誤字で送られてくる。点呼で読み間違えられることだって、多々あった。その度に嫌な気持ちになるし、それも相まって、もっと簡単で呼びやすい名前だったら良かったのに、と思っていた。
でも、小学生の高学年のとき、授業の課題で自分の名前の由来について、作文を書きましょうというものが課せられた。そのとき初めて、この名前、漢字に込められた想いを知った。
幼い僕には、概念的なところまでは理解できなかったけれど、幼いながらに、僕はこの名前を裏切るような生き方はできないな、したくないなと、明確に感じたことを覚えている。
もっと深いところにある、言葉の意味とか概念とか、漢字の成り立ちなどのバッググラウンドを知るのはもっと後の話、というよりつい最近。偉そうな言い方になるけど、よくぞこんなにいい名前を両親はつけてくれたなー、と年を経るごとに関心する。
だからこそ、僕は自分の名前にとても誇りを持っているし、誇りが持てる名前を授けてもらったことをとても感謝している。
名前とは最も親和性の高いアイデンティティだ。人は社会や組織に所属しながら様々な肩書きを取得していく。しかし、そこに誇りを持って、自分のアイデンティティにしていくには途方もない時間や苦労が必要になる。そんな時ふと、自分ってなんなんだろうと考えてしまったとき、帰ってこれる場所は、自分の名前になるんじゃないのかな。
ちなみに、僕が出会ってきたたくさんの名前の中で、これはすげえなと思ったのは、
晴臣(ハルオミ)と詠一(エイイチ)
どっちも、はっぴいえんどのメンバーですけどね。
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