絶対的な天才より私という異才という話
単純で画一的な評価項目には意味はない。
成績では測れない、数値化すら叶わない。
感性は曖昧なだけ、方向性が異なるだけ。
そんなものだけど、でもそれでいいんだ。
今更になるが、『左ききのエレン』を友人に勧められて一気読みした。
『自分が天才ではないと気づき挫折』したと称する原作者が描くのは、(決して自分の姿ではないとしつつも)本物の天才に圧倒され、翻弄され、それでも"何者か"になれることを夢見て精一杯奮闘する凡人だ。
表紙をめくると必ずある、「天才になれなかった全ての人へ」というキャッチコピーは、巻数を重ねる毎に読み手側の心にも深く入ってくる。
ある所に、一人の大人がいる。
出身学部に沿った専門職に就いたが、その後縁あって異業種に一般職で転職。それまでとは違った世界に触れ、興味を惹かれたのか今度はその道で専門家を志すようになる。この時点で30歳の節目を過ぎており、然るべき過程を経て有資格者となるのは恐らく30代後半。最初からその道を選んだ者達と比べれば少なくとも10歳以上の差が生じており……と、ここまで書くと何かの想像問題の様にも思えるが、これは他ならぬ私の話である。
晴れて大学を卒業し建築士の資格を手にしたとして、ゼネコンなり設計事務所なりへの就職が上手くいかない可能性は少なからずある。もしかしたら、自分が働くための場所は一から自分で作らなければいけないかもしれない。だとすれば、それはそれで茨の道だ。
やれ「グローバル化だ」「デジタル化だ」「働き方改革だ」と事ある毎に叫ばれ最近では「多様性社会だ」が追加された現代日本の企業社会は、かつてリクルートスーツに袖を通し就職活動に奔走していたあの頃と比べてどれだけ前進したのだろう。私がどれだけ前進しても、社会全体が前進していなかったら一体どうすればいいのだろう。
そういう意味では、ハノイ在住時の環境や交友関係はとてもよかった。異なる価値観や文化が根付いた国に自分達が圧倒的マイノリティとして足を踏み入れているからこそか、意識も立ち回りもまるで違うように思えるのか。だとすれば、海外駐在に業界転向と大きく舵を切った私の行き着く先は、未知なる国での未知なる仕事なのかもしれない。
絶対的な天才なんかより、私という異才へ。
百人千人が首を傾げても、私らしい選択を。
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