人の拠り所に関する話
-Non mihi, non tibi, sed nobis.
(ラテン語訳:私やあなたのためではなく、私達のために)
私は1990年生まれだ。元号にすると平成2年。
ローリング・ストーンズが初来日したり、キリン一番搾りやスーファミが発売したり、おどるポンポコリンが大ヒットしたり、そしてバブル景気が最後を迎えた年だったりする。
前置きはこの位にして、ハノイの話だ。ハノイ90会(1990年生まれの会)というのが存在する。
私が参加したのは2017年の秋頃だったと思う。当時は在住歴1~2年位の草創期からのメンバーを中心に活動していた。
やはり、若い年齢層の駐在/現地採用が徐々に増えているのだろう。会の人数はその後も着々と増え続け、現在では50~60人程度が参加している。
その一方で、帰国する人も存在した。特に現地採用に多いのだろうか?この年代で長く滞在する人というのも、珍しいのかもしれない。早い場合にはそれこそ1年程度、1度会ったきり行方知れずのままLINEグループに残っている人も少なからずいる。
昨年冬から今年の春にかけて、それまで仲の良かった人達の転勤や帰国が相次いだ。そしてその中には幹事も含まれた。
ふと気が付けば、私がハノイに来た時のメンバーはもう(実質)残っておらず、周りは数ヶ月~1年半程度が殆どを占めた。相対的とはいえ、在住歴2年以上の私は確実に古参になっていた。
私は幹事を引き継ぐことにした。
実は過去に幹事業をした経験がある。大所帯さに定評のある馴れ合い・友達作りサークルだった。
あの当時を思い出しながら、ほぼ毎月、無理のない範囲で定量的に開催していく事にする。来る者は拒まず、去る者は追わず。しかし道理を弁えぬ者が現れれば、然るべき対策を施さなければ。
詳細こそ深堀していないが、この会は一度作り直された……らしい。伝え聞いた話によれば、草創期の女性数人が粘着質な出会い厨に何度も絡まれ辟易したとか。無論、その女性陣も今となっては全員帰国しているとは思うが。
というより、私達もそろそろいい歳である。来年にはいよいよ30歳の大台を迎えるのだ。常識がないとか、胡散臭いとか、そういう輩に対して、ただ黙って遮断するしか術がないというのは、流石に進歩が無い。
会の存在と情報を雑誌のサークル紹介欄に掲載する決心をつけた私は、各所に連絡を取る。
1人でも多くの同期を集め、お互い何となく意識しながら、時に協力したり切磋琢磨したりできる環境を、そのきっかけを構築するのだ。その方が、会としての存在意義は遥かに大きい。
いつまで、どこまで、どれだけやるかは、今はまだ分からないけれど。
それでも私は、かつての仲間達の想いを背負って生きていく。
そんな風に同じ時を一緒に過ごしていく仲間達の拠り所を守り、そしてこれから来る者達へと繋げていくのは、そこが自分自身の拠り所でもあるからに他ならない。
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