将来的な経営統合を視野に入れた事業提携の締結に関する考察、という話
それは現代社会における生存戦略。
弊社と御社、目指すのは経営強化、価値向上、シナジー創出。
お互いの人生を懸けた持続可能な開発目標。
……今回の記事、いつになくお固い表題を冠しているが、実際の本題とは相当な乖離があるので、まずはゆっくりと肩の力でも抜いてほしい。クロールのイメージで回しながらほぐすとか、どうだろうか。
……さて、話はとある女性とお茶していた時に遡る。
その方とは私がハノイに来た頃からの仲で、もう全面的に信頼しているといっても過言ではない。なので、ひと度「最近の恋愛事情はどうなの?」とかそんな事を聞かれてしまえば、たちまち最近出会った人や身の回りで起こったことなどを洗いざらい全部話してしまう。
そんな洗いざらいの中、あるタイミングでその方が唐突に投げかけた一言こそが今回のテーマの出発点である。
「(前略)もしかして、本当は彼女とか必要としてないんじゃない?」
―2020年10月某日、ハノイ在住女性、週末カフェにて
「さすがにそんな事は無いだろう」と、その瞬間は思った。しかしそう答えようとすると、今度は「いや、やっぱりそうかもしれない」とも思った。
確かに週末に部屋でひとり寂しさに打ちひしがれたりとか、結婚願望に満ち溢れ過ぎて見境なかったりとか、そういう類のことは断じて無い。無いけれど、ただそれでも「自分の側に誰かにいてほしい」という気持ちはあり、むしろそれが徐々に強くなっている気さえしている。
「この感じは一体何だろう?」そんな事を考えながら、ここ最近は何人かの人とこの手の話を繰り返していた。そうして見えてきたのは「これからの人生に向けた備えをしたい」という、人生の中期経営計画そのもの、根幹部分だった。
「自分自身の将来のことを考えるなら、そろそろパートナーの一人でもいた方がいいよね?」
―2020年12月、中の人(案山子)、脳内会議にて
どれだけ身軽で生きていても、どんなに余裕を保っていても、どれほど備えていたとしても、自分の力だけでは乗り越えられない試練や困難というのは、実は人生の長い長い道程の中でそこら中にあって。
そうした中であえてひとりで生きていくというのは、例えどれだけ世の中が便利になったとしても、大変である事に変わりはなく。
もちろん不可能だとは言わない。言わないけれど、乗り越えようとすれば様々な制約が付きまとうし、かといって避けようとすれば代償として何かを諦めたり妥協したりする必要に迫られる。
一番想像しやすいのは、病気や怪我など健康上の問題。それ以外でも、仕事や生活環境やその他様々な理由でアクシデントに見舞われたりするケースだってあるかもしれない。しかも、そうしたものはいつだって何の前触れもなく突発的にやってくる。
だからこそ、自分の両親をはじめ世界中の人々がそうして来たように、”パートナーを見つける”という事自体は至極当然のことで、それはもう人類の歴史が証明しているのでは?(壮大かもしれないけど……)
そうだ。30歳を迎えた今、「(将来的に)結婚する可能性も見越して、誰かと繋がっておきたい」と理性の面から考えているのは、「もしこの先一人で壁に当たって詰んだらどうしよう」と感情の面から次の10年(もしかしたらそれ以上)への備えをしているからに他ならない。
そういう意味では事実婚や内縁というのはよくできた仕組みで、逃げ恥で津崎平匡さんが言った「夫婦=共同経営責任者」というのも……だめだ、本題から順調に脱線してしまうから、少なくとも今回はそっち方面の話は無しだ。
それは唯一無二の線図。
同じ海の上で瞬き、同じ月の下に地上を照らし、そして揺蕩う。