20歳になった私が思う大人になるということ
私は小さい頃から、大人になるとはどういうことかと考えていた。
上手く周りに同調して要領よく立ち振る舞える人のこと?諦めが良くなって、違和感をある程度なかったことにして、楽しめる人のこと?
そんなことを考えているうちに、私も大人になってしまった。
二十歳になって半年以上が過ぎ、私なりに「大人とは」の結論が出た。
それは、過去に折り合いをつけられるようになること。
例えば誰しもいるであろう、合わなくなった友達 嫌いになってしまった友達。
そのような友達が、今は合わなくなったからといって、嫌いになったからといって、一緒に過ごした時間が無駄だったと思うのは、大人の考え方ではないと思う。なぜかというと、今の考えに囚われて過去を見ているからだ。
あの時お互いが信頼し合って、心から笑い合った時間や存在した友情は紛れもなく本物で、今は存在しなくても、その過去は美しいと過去を否定せず、受け入れられること。だからといって、あの過去を取り戻そうと過去に引きずられるのではなく、大切な思い出として整理して心にしまえること。
それが私にとって大人になるということだ。
もう一つ例を挙げると、小さい頃感動して心を奪われた遊び場。
その頃の感動を胸に、期待を膨らませて大人になってから同じ場所にいったが、あの頃の感動はなかった。
しかしだからといって、私は大したことないものに心を奪われていた、くだらないと考えるのは先程と同様、今の視点に囚われているので大人の考え方では無いと思う。
あの頃、心を奪われたのは事実で、
ではなぜ今は感動をしないのか、それは多くの経験を積んだからなのか、ここから別の世界に行けるかもなどという想像力が欠けたのか、身長が伸びたせいで目線が変化したからなのか、と思いめぐらせ、その時の感情も今の感情も大切にできること。
それが私にとって大人になるということだ。