私なりのアンサー
話題のジブリ長編映画
『君たちはどう生きるか』
早速、劇場に足を運んできました。
タイトルは著者、吉野源三郎さんによる児童向けの小説からとったもので、
宮崎駿監督が少年時代に読み、
深い思い入れのある作品になるそうだ。
今回世間を騒がせた理由の一つに、
公開前の広告等の事前情報がなかったことが挙げられる。
また、2013年度のジブリ長編映画『風立ちぬ』の作品発表において、宮崎駿監督は引退を宣言したものの、発言を撤回。
そのことからファンの期待を膨らませた事が窺える。
実は私はジブリ映画を劇場で何度か観たことがある。
新型コロナウイルスの感染拡大防止の為に
私たちは不要不急の外出を余儀なくされた。
そんな中、スタジオジブリから
『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』の4作品がリバイバル上映されたのだ。
その期間『千と千尋の神隠し』と『もののけ姫』を劇場で観ることができた。
先行きの見えない不安の最中、ジブリ映画は私の心の中に暖かさを与えてくれた。
私も以前BOOKOFFにて購入し
原作を読んだことがあった。
映画内容は完全オリジナルストーリーともあって
一体どういった世界観で表現されるのか楽しみにしていた。
※ここから先は個人的見解によるあらすじ、
(そのため誤情報を含む場合があります予めご了承下さい)
ネタバレを含むことがあります。
オリジナルストーリーともあり、
原作と全く異なる世界観であった。
原作ではコペル君という愛称で呼ばれている
中学二年生の男の子本田潤一くんが主人公である。
しかし本作品の主人公はコペル君と
同世代位の男の子・眞人(以下マヒトさんと述べる)である。
冒頭のシーンは空襲によって町中が襲われ、
人々が恐怖に怯えている映像から始まる。
時代背景は恐らく、
第二次世界大戦中の東京大空襲ではないか、と考えた。
その頃マヒトさんには父親と母親がいた。
しかしこの戦争によって母親が帰らぬ人となってしまう。
母親を亡くしてしまった喪失感を抱えながらも
その後の彼の新しい母親となる女性ナツコさんと、
父親が出会い、新たな家族の形としてストーリーは展開してゆく。
これから新しく生きていく住まい、
学生生活を通してゆく中で
彼は実の母親の遺品の中から
タイトルになった
『君たちはどう生きるか』という本を見つけ読む。
ここが彼にとってのターニングポイントになったのではないかと考える。
映画のポスターにある、鳥のイラストの正体は
青鷺であり
彼の成長を導く重要な鍵となる。
青鷺は、彼が新しく移り住むこととなった
家屋の周辺にある謎の建物に住み着いていた。
青鷺と彼との出会いは最悪で、互いに嫌悪感、
敵同士として始まる。
青鷺による、亡くなった母親と会わせてやる
という偽りの口実の元、
彼は母親を探し出す幻影まがいの冒険に出発する事となった。
ざっくりとあらすじらこうである。
私なりの考察としては、
宮崎駿監督の幼少期時代とその時代背景を
主人公であるマヒトと重ね合わせることによって
タイトルにもある『君たちはどう生きるか』という
長年の問いを彼なりのアンサー、作品として世に打ち出した。
ということではないか、と考えた。
物語の中にこれまで宮崎駿監督が編み出してきた
ジブリ作品のオマージュのようなシーンが何度か現れたように感じた。
真実の人と書いて、マヒトと呼ぶ。
宮崎駿監督、また私たちが生きていく
時代の流れの中で
映画というコンテンツを通して、
また一表現者として
伝えたい思い、情熱を受け取ることができた。
『君たちはどう生きるか』
という筆者の訴えたい問いかけに対して
一人一人多様なアンサー「答え」が
返ってくるのだと思う。
映画を観るものによって、また原作を読むことで
様々な意見が割れ、考察が出てくるだろう。
しかしどれもまた立派な「答え」であり、
私の今日までの生き方
積み上げてきた小さな選択が
その「答え」導き出しているのかも知れない。
今回広告を打ち出さなかった理由にも
「答え」が目に見えていたのだと思う。
現代において秒単位で溢れ出す情報の中から
何を見つけ出して、そして何を選んでいくのか…
ジブリ作品が年齢問わず愛される理由がある=
「答え」のように感じた。
宮崎駿監督なら、僕ならこう生きる、
こう生き延びてきた。これが僕なりの「答え」だ、と。
そういう力強さを映像、キャスト陣から
私自身は受け取る事ができた。
エンドロールまで見終わったものには
それを感じざるを得ないだろう。
どう生きるかは、誰と生きるか、それも答えの一つだ。
私は本との出会い通して
今回の映画を観るきっかけとなった。
マヒトのような
心と目を養える人でありたい…。
観ることが出来てよかったと私は思います。