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アラフィフの私が35年ぶりにピアノを再開した理由ー娘がピアノを辞めるなど地殻変動

アラフィフの私は35年ぶりに再開したピアノの3回目の発表会に6月末に挑もうとしています。noteの講座に出たことをきっかけに、ピアノと自分について整理しておきたいと思い、「アラフィフの私が35年ぶりにピアノを再開した理由」について探究しています。前回までの話では、子どもをピアノに習わせ始めたところ、仕事や育児で蓋をしていたピアノへの想いに気づきました。そして、息子の連弾という形で30年ぶりにピアノの発表会に果たし、「ピアノの弾き合いという場に心踊る自分に気づきました。


コロナ禍でコーチングの学びを開始し自分の在り方に疑問を持つ

コロナが流行り始め、リモート勤務と外出制限があり自宅に籠る日が増えました。全人類が死と背中合わせで生きる中、自分にとって大切なことに考えを巡らせた皆さんも多いと思います。私は2人の子どもの進学時期だったのですが、入学式がキャンセルになり授業がオンラインや課題になったりして、進学を思い通りに祝えない毎日に鬱々とした気分でした。前向きに何かに取り組みたいと思い、以前から興味を持っていたコーチングの学びを始めました。

コーチになるために学びを始めたその時間は、自己変容の時間となりました。まず、「(すべての)人はもともと創造力と才知に溢れ、欠けるところのない存在である(People are Naturally Creative, Resourceful, and Whole=通称「NCRW」)」という大前提に立つCoActiveコーチングの考え方に衝撃を受け、虜になっていきました。私は「人の役に立つ」ということを大切にして生きてきました。仕事と育児を両立しながら、周囲の期待に応えるTo doをこなす毎日。自分以外のことを優先し、守備よくこなすことにやりがいを感じていた自分に気づきました。また、自分が他人のモノサシで自分を評価し、「母として、娘として、社会人として、こうあるべき」に縛られ、小さく生きている自分に気づきました。不得意なことを鍛錬して克服し、無難なレベルに持っていく。気づくと器用貧乏。「自分は何者なのか」「自分の魂は何を喜ぶのか」と自分に問うようになりました。自分の魂が喜ぶことをど真ん中に据えて毎日を過ごしたら、どうなるのだろう。好きなことをやることの大切さにも気づいたのです。

娘がピアノを辞めるという地殻変動

娘は小学生になっていました。保育園の頃は「ピアノが上手」と言われていた娘ですが、ピアノは辞めるとは言わないものの、やらされ感満載。小学生になったら楽譜が読めるようになって、ピアノの練習も楽になる、上達も早くなるのではと思っていましたが、そうはいきませんでした。一方、虫を追いかけたり、絵を描いたりするのは嬉々としてやっていました。彼女の魂は何を求めているのだろうーー夫も私も音楽系だったので信じられなかったけど、それはピアノではなく、絵や虫なのではないかと思うようになりました。体育会系の家族の中でただ独り自分だけが文化系だったことを思い出したりして・・・ケンカしながらの練習ももう辞めよう、と思いました。

「今までピアノに付き合ってくれてありがとう。同じ趣味を持って仲良くなりたかった。でもそれより大事なのはあなたの魂が輝くこと。あなたの魂が何を望んでいるのか少しずつわかってきた。だからピアノの時間はユリ(仮名)が本当に好きなことに使ってね」

ピアノを辞めた頃に娘が描いてくれた私の絵

夫がピアノを再開するという地殻変動

それからほどなくして、「僕はピアノを再開しようと思う」と夫。
ベートーベンのソナタを弾きたくて、30歳からピアノを一から始めた夫ですが、仕事や生活の変化もあり辞めていました。
いつか来るとは思っていた。

「どこで習うの?」
「広田先生(仮名)に習おうと思う」

明るく溌剌としていて、ピアノを弾く人への愛に溢れる広田先生にピアノを習うなんて、羨ましい!!自分がピアノを再開するのは子育てが一段落する数年先と思っていたので、再開する希望に溢れる夫が羨ましくて胸がざわざわしていました。

あとがき

お読みくださりありがとうございます。よろしければ、「スキ」していただけると、ピアノのストーリーを次の最終回まで書き切る励みになります。
本稿とはあまり関係ないようにも見えますが、私のコーチングに関心を持ってくださった方、ぜひ体験コーチングやお問合せをこちらのフォームからお願いします。
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