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過去の記憶with深夜の厚揚げ焼き(醤油・生姜・ねぎ)

昨日の写真の犬たちがいた宿の写真を。

若い頃の記憶ってかなり断片的で、忘れてしまっていることが多い。
きっと、人間そのものが得た才能に加えて、私自身忘れないと処理しきれない情報や感情の中で生きてきたってのもあると思う。
小学生の頃から、自分は健忘症なんじゃないかって思っていた記憶があるほどだ。

でも、こうして写真を見返していると、確かにそこに自分はいたんだなと。
時々、他人が撮ったんじゃないかって思うこともあるけれど、確かにそこにいて、いろんな感情の中いろんなことを五感で感じでいたんじゃないかなと。

もしかしたら。
その時は、それどころではなくて、例えば圧倒的に嗅覚に乏しかったり、例えば圧倒的に視覚ばかり特出していたかも知れないけれど。
でも、うっすらとでも、感じるものはあったはずだ。

この写真を見ながら、確かに本当にここにいたんだなって不思議な気持ちになり、そんなことを思った。

昨夜のアドレナリンを引きずったまま、1日を過ごした。

久しぶりに天気予報に晴れマークが付いていて、洗濯日和だと嬉しくなって、朝から何度も洗濯を回した。
午前中から晴れるはずが太陽のマークは後ろ倒しになってゆき、午後にやっとお日様が顔を出してくれた。

太陽を感じるだけで、こんなに嬉しくて気持ちが晴れやかになるなんて。

夕方買い物に行って、なんとなく久しぶりに厚揚げを買った。
日持ちするし、気が向いた時(今日の想定ではなかった)に焼いて食べようと思っていた。

夜ふかしをしていて、たまたま開いたCOCCO CHANNNELを見ていたらどうにもお腹が減ってきて、タイトルの食べ物を缶チューハイと一緒にお腹に納めてしまったというわけです。

深夜1時半という時間の背徳感も相まって、シンプルなのに、極上のお酒のつまみに…うますぎた…。

Coccoは、いつも自分に正直で優しい、気がする。
繊細すぎて、でも自分の心に嘘がつけなくて真っ直ぐに生きる彼女を見ていると、繊細な自分はダメな存在ではないって思える。
…と知ってる風に書いたけど、しばらく忘れていて10年ぶりに再開したのだけれど。
この10年くらいは、「大丈夫であるように」って、真っ直ぐに生きる彼女と向き合う力が、なかったってことかなと思う。
今は、前みたいに彼女の世界に依存して落ちてゆくのではなく、私も一緒に自分が大切にしたいものを大切にしていけるようでありたいって、前向きな気持ち。
そう思うとCoccoとの再開は「お久しぶりです」ではなく、「はじめまして」に近い感情なのかも知れない。

さ、お腹もいっぱいだし、ちょっと酔っ払ってしまったし、何書いているかわからなくなってきたので寝るとします。

おやすみなさい、今日も自分、お疲れ様。
いろんな人が色々言うかも知れないけどね、私なら大丈夫。

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