『Let's get on board』
夜明け前に合わせた目覚ましが鳴る。
まだ街も人も眠りの中だ。
身支度を済ませ、キャリーケースとバックパックを車のトランクに積み終える。
この場所の空気を吸い納めるつもりで、鼻からゆっくり吸い込んだら、目が覚めるほど冷たかった。
旅の予算の都合上、早朝便の飛行機でカナダを発つことになったのだが、‘‘夜明け前’’というのは、なんだか出発するのにぴったりな時間のような気がしている。
それはこの言葉の持つ心象風景が、どこか儚げで曖昧で、終わりと始まりのあわいのようなものだからなのか。
今の心情に合っている、と思うのだ。
10日あまりを過ごしたカナダでの日々は、兄夫婦のお陰で楽しい毎日だった。
彼らがいなかったら、私はこの人生でこの旅を実現できていただろうか。
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この旅の前年、2018年の12月に私たち家族は父の旅立ちを見送った。
父の人生の後半は、20年近く病との付き合いであった。
最後の数年は満身創痍の身体で、人工呼吸器をつけ、喋ることも食べることも動くことも叶わず、病院から危険な状態と連絡を受けたのも、一度や二度ではなかった。
父の葬儀を終え、年を越し、私たちはそれぞれの生活に戻っていった。
私にはもうその頃の記憶がほとんどないが、朝起きて、仕事へ向かい、働けばお腹が空き眠たくなる。そんな風に体は動いているが、心はいまいち機能をしていないような状態であった。
ただただ生活が続いていく中で、どこか心の奥底では時間がほしいと思っていた。
ここではないどこかで、ひとりになり、ゆっくり自分の感情と向き合う時間が。
もしくは、それは何もしない時間なのかもしれない。「旅に出たい」という思いが日に日に強くなっていた。
その頃、兄夫婦のもとに男の子が産まれ、その2ヶ月後には母が赤ちゃんに会うためにカナダへ向かった。
この母のカナダ旅は、長い間、家族を支えるため仕事を掛け持ちし、働き詰めでありながら、自分のために時間やお金を使うこともせず、いつも家族を一番に考えてくれていた母へ、兄夫婦からの感謝の贈り物だった。
夏が終わる頃、母はたくさんの土産を抱え元気な姿で帰ってきた。
旅の最中にはLINEのグループトークに、楽しそうな写真がたびたび届いた。
この出来事は私に、人生のステージがひとつ終わり、そして始まったことを知らせくれたのだと思う。
私は、私の旅をすることを決めた。
行くか、それとも行かないのか。今思えば、この「選択」がこの旅一番の大仕事だった気がする。
この「選択」は、自分の人生を自分の意思と責任で生きようと決めた第一歩になったのだから。
大切なのは、出発することだった。
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まだ他の車がほとんど走っていない空港への道を、車はスピードを上げぐんぐん進む。
しばらくすると、濃いネイヴィー色の空の中に、不自然な明るさを放つ建物が見えてきた。
「巨大な宇宙船みたい」そんなことをぼんやり思っている間に車は空港内のパーキングの一角に落ち着いた。
外に出ると、鋭く冷たい寒さが襲う。
私は、マフラーをきつく巻き直し、バックパックを背負った。
キャリーケースを押す兄の後ろに付いて歩き、白い息を吐きながらターミナルに入ると、もう多くの人が集まっている。
中国人らしきアジア人も時々見かけるが、殆どがが欧米人らしかった。
ここにきて英語でのチェックインに戸惑いながら、大丈夫かなと一抹の不安がよぎる。
「なんだか緊張で、吐きそう」と漏らしながら手荷物検査のレーンに向かう。
兄と姉、すやすや眠る小さな甥へ、伝えたいのに色々な感情がまとまらず上手く言葉が出てこない。
かわりに出てきそうな涙を堪えながら、三人に「ありがとう」と「いってきます」を言って別れた。
手荷物検査の列は順調に進み、順番がきて、バックパックとコートとスニーカーを籠に入れベルトコンベアーに乗せる。最後に人間が金属探知機のゲートを通過して異常がなければお終いだ。
ゲートをくぐる直前に後ろを振り返ると、三人が手を振っている。
私は両手で大きく手を振り返しゲートに入った。
トロント空港発ラガーディア空港着WESTJET1202便が、定刻通りに離陸した。
1時間半のフライトで着陸のシートベルトのサインが付いた。
窓を覗くと、眼下にはニューヨーク・シティが広がっている。
‘‘Let's get on board’’
雲間を進むボートの中で、そう呼ばれているような気がした。この日がくるのを待っていた。
旅がはじまったのだ。
2019年11月3日