誕生日と人権集会
私の誕生日は12月9日。12月10日は「世界人権デー」で、12月5日~10日までは「人権週間」となっている。
小学生の頃、私はいじめられていた。もとい、今となっては「そりゃそうやろ」とか「アンタが悪いわ」とか言いたくなる要素アリアリで、いじめられても仕方ない子ではあった。が、当時はナンノコトヤラ気付きもせず、いじめられては泣いたり怒ったり早退したりしていた。
子どもながらに「いじめっ子達は単体じゃ何もできやしない」とか、「私はいじめに関与しないことがいいと思っている人間にはなりたくない」とか、「精神への陰湿な攻撃は証拠にならない。殴ったり蹴られたりして、証拠を作ってほしいものだ」など真剣に考えていた。で、当時の自分なりの正義に従って、スクールカウンセラーにいじめを相談してみたり、完全に無視して反応を示さなかったり、いじめっ子達に静かに対抗してみたりしていたわけです。
そんな私の誕生日の前後に、毎回あるわけなんです。人権集会が。
人権なんてへったくれもねぇ事案が起こっているその学校で、そのクラスで、「いじめはやめよう」とか「みんななかよく」とかいうわけです。そんで「世界に一つだけの花」とか歌うわけです。マジで、毎回生きる力を削がれておりました。
子ども心に希死念慮が募りながらも、「人権ってなんだろう」とか「普通ってなんだろう」とか「思いやりで人は救えないでしょ」とか、そんなことを考えながら、呪いながら、乖離しながら、人権集会をサバイブしてきました。体育館の冷たい床と、“ありがたい話”をちっとも聞かないいじめっ子達の空気感をよく覚えています。
こんな集会なくなってしまえばいい。傷付いた者だけが真剣に話を聞いて、真剣に
考えて、真剣に傷付いて、加害者は何と響くものがあるわけでもなく、自分たちのしていることと繋がらない。
生まれた日が近くなると思いだされる記憶です。