ただゆたかな人生
今までの人生も、今の人生にも不満はない。
今までの人生をありがとう。
お父さん、お母さん。
今の人生も、今の家族にもありがとう。
ただ、これからはどうしよう、と思う。
条件的には、ゆたかな生活で、それをなんとなーく繰り返し、
気付いたら明日は、デイサービスだからね!と娘に言われている日になってしまっているような気がする。
これが、ただゆたかな人生。
そんなことを人に話すと、
「それは早過ぎでしょ」と笑われる。
なんせ、娘はまだ6歳、息子なんてまだ2歳。
でも実際にそんなことが起きている。
私の祖母がそうだから。軽度の認知症である。それを娘の母が介護している。
もしくは、父親もそうだから。父は食道癌を患っている。今症状は抑えられていて何をしてもいいらしいが、気分的には何もしたくないんだろうな、と言う生活をしている。
結婚して、子供ができて、家を買って、幸せと思ってもゴールはそんなものなのか、と思ってしまう。
祖母は、「こんなに年をとっていても、死ぬってどんな感じなのか怖いもの」と言っていた。
父は何も言わないが、その胸の内はどれほどの想いがあるだろうか、と思う。軽くなっても治らない。いつ終わりが来るのかわからない。
歳をとりたくないわけじゃないけど、介護されずに暮らしたいな。
死にたくないわけじゃないけど、怖いのは嫌だな。
じゃあ、そうならなければ、物足りなさを感じながらの「ただゆたかな人生」も、ゆたかだったと言えるのかな?それは違う、っていうのはわかるけど。
じゃあ、改めてゆたかさってなんだろ。
認知症の祖母も、ガンの父も、今もゆたかなのかな?
だとしたら、何がゆたかな要素になっているのかな。
自宅で美味しいものが食べられて、度々ひ孫、孫に会えることくらいしか思いつかないけど、
そういう事なのかな。
私のイメージするのゆたかさなら、もう少し欲張りたい。
例えば、
認知症になってしまっていても、ピアノで弾ける曲が一曲だけある、とか。
癌になっても、体の動くうちは旅をしようと思える心の強さがある、とか。
そんなことできたら、本当にゆたかだなぁ。
そのためには、弾ける曲を忘れないようにピアノを弾き続けて、旅行資金を貯めなきゃ。
つまりは、ゆたかさとは欲張りを叶えることなのかな。
じゃあ、まずは欲張りにならなきゃな。
夢とか目標って難しい。
でも欲張る事は出来そう。
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