僕たちは何故生まれてきたんだろう?
旧暦の新年が始まりました。
明けましておめでとうございます。
昨年は学生時代からの親しい友人が、
先月は15歳年下の後輩が他界しました。
棺の中でいろんな花に囲まれて、
静かに旅立って行くのを見送りました。
子供の頃は、 祖父や祖母が亡くなるのを
両親の傍で見ていました。
もちろん、
当時は 死ぬことを理解していたわけではなく、
ただ見ているだけでした。
今は、生きること、死ぬことを理解したくて、
それが何なのかを自分に問いかけ、
答えが見つからないまま、
問いかけばかり増えて来ました。
なので、
生きるって何?を書いてみようと思い立ちました。
では本題です。
僕たちは何故生まれてきたんだろう?
ある友人が、
それはね、親父とお袋がエッチしたから生まれたんだよ、
と当たり前な説明をしてくれました。
そんなもん、
お前に言われんでも知っとるっちゅうに。。。(苦笑)
でも、それは「何故」の答えじゃなくて、
「どの様にして」の答えだと思う。
僕たちは何故生まれてきたんだろう?
友人や後輩の死を目の当たりにした時から
とても身近なこととして考えるようになりました。
何故、なぜ、ナゼ。。。
Q なぜ餃子を食べたいの?
A だって美味しいんだもん!
Q なぜ公務員になったの?
A だって、 倒産しないし、
収入安定してるし、
年金たくさんもらえるし。
何故、なぜ、ナゼ?
「何故?」の答えをあれこれ考えているうちに
それを自分が求めたからではないのか、
というジグゾーパズルのピースが一つ、
垣間見えてきました。
自分が望んだから生まれた。
僕以外の他人の誰かが
僕が生まれることを決めた。
いやいや、それは絶対ない!
お前の誕生日、俺が決めたから!
いやいや、無い、ない、ナイ!
嫌だったら生まれて来なかったんじゃないか?
ご飯を食べなきゃいけないし、
うんこしなくちゃいけないし、
仕事しなくちゃいけないし、
面倒臭くて嫌だ!
とてもシンプルなことなんじゃないのかな?
僕たちは何かを求めて生まれて来た。
自分で生まれることを選んで、
この星の上に生まれて来た。
何処かの誰かのせいで生まれたんじゃない。
不可抗力で生まれたんじゃない。
人生は山あり谷ありだけど、
自分が望んで生まれてきたんだよ。