にがくてあまい レシピ72 あまからみぞれ餅

小林ユミヲさんが描く漫画『にがくてあまい』の第72話「あまからみぞれ餅」が公開されました。サイトがリニューアルして、これからもどんどん素敵な物語を届けてくれる…と思っていた矢先に飛び込んできたのは「もうすぐ終了」のお知らせ。なんてことだ…

けれども、始まりがあれば終わりがあるわけで、やはり物語にはしかるべきエンディングを与えてやる必要があります。新しい漫画を描きたいというユミヲさんの気持ちもあるかもしれませんしね。僕がファンになったのは約2年前ですが、随所で自分のターニング・ポイントとリンクしたこともあり、とても思い出深い作品です。終わるのが本当に寂しいのですが、その暁には完結を心から祝いたいと思います。

http://comic.mag-garden.co.jp/nigaama/

さて、第72話では、物語はクライマックスに向けてぐっと舵を切ります。前回は「マキ」の心に大きな波が立ちましたが、今回は「渚」が大きく揺さぶられます。主人公のふたりがそれぞれの問題に直面します。

今回のキーワードは「奇跡」。とても素敵な表現です。

後輩の「ばばっち」は、「マキ」と「渚」のふたりを自分にとっての奇跡だと表現し、「渚」も、「マキ」の存在は自分にとって奇跡だと言う。これまで積み上げられてきた物語を思い返せば、その言葉の価値はとても大きいことが分かります。「ばばっち」が過去の足枷から解き放たれたのはふたりのおかげだし、「渚」にとっては、「マキ」がそれまでの彼の世界、彼が抱えていた考え方を変えてくれました。

だからこそ、その「奇跡」を手放さないといけないと思うときの切なさや悲しさも大きくなる。

「渚」がゲイであることを知りながら「マキ」は彼を好きでいるし、同居している。「渚」も何だかんだ言いながら彼女と一緒にいることが自然になっていて、心地好く、そして助けられていると感じている。それこそが、女性嫌いの「渚」にとっての奇跡です。ふたりの心の交流は随所に描かれており、いわゆる愛の形というものはひとつではない、ということをつくづく思います。

そして今回、「ばばっち」に問われた「渚」は、ついに心の内を吐露します。「マキ」が望むようなことは何もしてやれない、子供も作ることはできない、一緒にいたいけどこればかりはどうしようもない、と。

どのような人にも、どのような関係にも、何かしらの問題はあります。『にがくてあまい』では「どうにもならない事情」と表現されます。他の人からしてみたら大きな問題ではないことも、当人からしたら大きいなんてことはよくありますし、外野には見えない、理解できない問題だってきっとある。それを抱えながら、ある人は達観するし、ある人は見ないふりをするし、そしてある人はどうすればいいか結論が出ず、ずっと思い悩みます。

最後に「渚」はビールを顔からかぶり、涙を隠します。その涙は何を意味するのでしょうか。「ばばっち」との会話から、何かを決意したのでしょうか。そして、物語はどのように進み、どこにたどり着くのでしょうか。固唾を飲んで次の展開を待ちます。

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「どうにもならない事情」は形を変えて誰もが抱えていると思いますが、それとどうやって付き合い、折り合いをつけているのでしょうか。ひとりで抱えるのか、ふたりで共有するのか、あるいはもっと広い範囲の共通認識になるのか。完全無欠の正解はなく、どうするか考え続け、暫定解を出してアップデートし続けていくのでしょう。

たとえばふたりなら、一緒に抱えればいい、と僕は思っています。どれくらい重いのか、どれだけ抱え続ければいいか分からなくても、ひとりで抱えるよりも軽くなるし、抱えられる時間だって長くなる。ときどき降ろして休んで、もう一度抱えることもできる。そう思います。

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