にがくてあまい レシピ75 アボカドと納豆のそば粉ガレット

小林ユミヲさんの漫画『にがくてあまい』が、4/5の更新をもって完結しました。僕の読者歴は2年に満たないものではありますが、毎月の更新を楽しみ、物語を追いかけてきた時間はとても素晴らしいものでした。

物語の中で生きる人々に自分の生活を重ね、背中を押されました。転職活動を続けるモチベーションになりましたし、さらに、自分の人生を左右した…と言うのは大袈裟ですが、「家族にはいろいろな形がある」と思えるひとつの要因にもなりました。

http://comic.mag-garden.co.jp/nigaama/

二人の主人公、「マキ」と「渚」はそれぞれに決断を下し、それぞれの道に進みます。「渚」は長屋を出て、「マキ」の父親の農園を継ぐためにそこを手伝い始めます。「マキ」は東京に残って今まで以上に広告プロデューサーとしての生活に注力するも、やはり長屋を出て、二人の奇妙な同居生活は終わりを迎えます。数ヶ月が経ったある日、「マキ」は酔いに誘われ、気づけば長屋に向かい、たどり着きます。そこで目にしたもの、耳にしたものとは。最後の料理が読者に振る舞われます。

そして物語は、静かにクライマックスを迎えます。細かいことは語られません。美しい夕焼けが紙面を彩り、二人の会話が添えられます。こうして言葉を交わす二人の姿を描くだけで、それはどんな壮大なクライマックスよりも深みのある終幕を感じることができます。最後に描かれるのは、日常です。ずっとずっと続いていくであろう、日常のワンシーン。

ここにひとつの家族が生まれます。生まれたと言うべきか、ぼんやりと見えていた輪郭が、はっきり形を作って見えるようになったと言うべきか。二人がそれぞれに抱える事情は、二人を交差させないためのものでしたが、最後は二人をしかるべきところに導くためのものとなります。それはバッドエンドではなく、しかし絵に描いたようなハッピーエンドでもない。ひとつの日常を切り取った、そんな終わり方です。

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かつて僕は、この長屋が足立区あたりに本当に存在していて、登場人物たちが生活しているのではないか、長屋でのやりとりが本当にこの瞬間にも繰り広げられているのではないかと錯覚したものです。最終回を迎えた今でも、あの二人は日本のどこかで、相変わらず暮らしているような気がします。

小林ユミヲさんの描く人々には、不思議な魅力があります。どこかで楽しく暮らしているように思わせる、そういう意味での生命力を感じます。そこにはおいしそうな音と香りと、楽しそうな喧騒と悪態があります。それは自分のイメージを越えて、きっとどこかで実体を伴なって存在している、さまざまな家族の形が交錯している。楽しいことだけではないかもしれないけど、それでも楽しいことの方が少し多そうな感じですよね。

ああ、ついに終わってしまった…。最終巻である第12巻の発売は5月です。物語の余韻を味わいつつ、最後の楽しみを待つとしましょう。

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